・・・水に赴きて溺死る者衆し。艫舳、廻旋することを得ず。」(日本書紀 いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。何も金将軍の伝説ばかり一粲に価する次第ではない。 芥川竜之介 「金将軍」
・・・彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光に翼を焼かれ、とうとう海中に溺死していた。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、――僕はこう云う僕の夢を嘲笑わない訣には行かなかった。同時に又復讐の神に追われたオレステスを考えない訣にも行かなかった。 ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・彼の運命は遅かれ早かれ溺死するのに定まっていた。のみならず鱶はこの海にも決して少いとは言われなかった。…… 若い楽手の戦死に対するK中尉の心もちはこの海戦の前の出来事の記憶と対照を作らずにいる訣はなかった。彼は兵学校へはいったものの、い・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・ しかも、まるでこの異様さをもっと効果的にするためと云わんばかしに、わざとのような土砂降りの雨だった。 溺死人、海水浴、入浴、海女……そしてもっと好色的な意味で、裸体というものは一体に「濡れる」という感覚を聯想させるものだが、たしか・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・大部分の水兵は溺死した。その溺死体の爪は残酷なことにはみな剥がれていたという。 それは岩へ掻きついては波に持ってゆかれた恐ろしい努力を語るものだった。 暗礁に乗りあげた駆逐艦の残骸は、山へあがって見ると干潮時の遠い沖合に姿を現わして・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
お手紙によりますと、あなたはK君の溺死について、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様さまに思い悩んでいられるようであり・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・私はぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺死体のように横たわってしまう。いつもきまってその想像である。そして私は寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っている。―― あたりはだんだん暗くなって来た。日の落ちたあとの水のような光を残・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ お客さんというのは溺死者のことを申しますので、それは漁やなんかに出る者は時はそういう訪問者に出会いますから申出した言葉です。今の場合、それと見定めましたから、何も嬉しくもないことゆえ、「お客さんじゃねえか」と、「放してしまえ」と言わぬ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・凍死もする。溺死する。焚死する。震死する。轢死する。工場の機械にまきこまれて死ぬる。鉱坑のガスで窒息して死ぬる。私欲のために謀殺される。窮迫のために自殺する。今の人間の命の火は、油がつきて滅するのでなくて、みな烈風に吹き消されるのである。わ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・居や、有毒なる空気や、激甚なる寒暑や、扨は精神過多等の不自然なる原因から誘致した病気の為めに、其天寿の半にだも達せずして紛々として死に失せるのである、独り病気のみでない、彼等は餓死もする、凍死もする、溺死する、焚死する、震死する、轢死する、・・・ 幸徳秋水 「死生」
出典:青空文庫