・・・バケツの中がいっぱいになるに従って、火の流れがはいるたびにはらはらと火の粉がちる。火の粉は職工のぬれ菰にもかかる。それでも平気で何か歌をうたっている。 和田さんの「いくん」を見たことがある。けれども時代の陰影とでもいうような、鋭い感興は・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・僕は火の粉の舞い上るのを見ながら、ふと宮城の前にある或銅像を思い出した。この銅像は甲冑を着、忠義の心そのもののように高だかと馬の上に跨っていた。しかし彼の敵だったのは、――「うそ!」 僕は又遠い過去から目近い現代へすべり落ちた。そこ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 謹三の袖に、ああ、娘が、引添う。…… あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になって湧いて、涙を絞って流落ちた。 ばらばらばら! 火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗く、疎に、巨石の面にかかって、ぱッと鼓・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 羽目も天井も乾いて燥いで、煤の引火奴に礫が飛ぶと、そのままチリチリと火の粉になって燃出しそうな物騒さ。下町、山の手、昼夜の火沙汰で、時の鐘ほどジャンジャンと打つける、そこもかしこも、放火だ放火だ、と取り騒いで、夜廻りの拍子木が、枕に響・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・今に分ります……紅い木の実を沢山食べて、血の美しく綺麗な児には、そのかわり、火の粉も桜の露となって、美しく降るばかりですよ。さ、いらっしゃい、早く。気を着けて、私の身体 と云う中にも、裾も袂も取って、空へ頭髪ながら吹上げそうだったってな・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 夜汽車の火の粉が、木の芽峠を蛍に飛んで、窓にはその菖蒲が咲いたのです――夢のようです。……あの老尼は、お米さんの守護神――はてな、老人は、――知事の怨霊ではなかったか。 そんな事まで思いました。 円髷に結って、筒袖を着た人・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・実に済まぬことをした想いが執拗に迫り、と金の火の粉のように降り掛るのであった。しかも、悲劇の人だ。いや、坂田を悲劇の人ときめてかかるのさえ無礼であろう。不遜であろう。この一月私の心は重かった。 それにもかかわらず、今また坂田のことを書こ・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ 赤児の泣声はいつか消えようとせず、降るような夏の星空を火の粉のように飛んでいた。じっと聴きいっていた登勢はきゅうにはっと起き上ると、蚊帳の外へ出た。そして表へ出ると、はたして泣声は軒下の暗がりのなかにみつかった。捨てられているのかと抱・・・ 織田作之助 「螢」
・・・数千の火の玉小僧が列をなして畳屋の屋根のうえで舞い狂い、火の粉が松の花粉のように噴出してはひろがりひろがっては四方の空に遠く飛散した。ときたま黒煙が海坊主のようにのっそりあらわれ屋根全体をおおいかくした。降りしきる牡丹雪は焔にいろどられ、い・・・ 太宰治 「ロマネスク」
汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七条のプラットフォームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱっと吐いて、暗い国へ轟と去った。 たださえ京は淋しい所である。原に真葛、・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
出典:青空文庫