・・・ 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下しながら、何度も点頭を繰り返した。「それはあるならばつけて上げます。しかし人間の脚はないのですから。――まあ、災難とお諦めなさい。しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々蹄鉄を打ちかえれば、どんな山道・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ と黄饅頭を、点頭のままに動かして、「茸――松露――それなら探さねば爺にかて分らぬがいやい。おはは、姉さんは土地の人じゃ。若いぱっちりとした目は、爺などより明かじゃ。よう探いてもらわっしゃい。」「これはお隙づいえ、失礼しました。・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体つけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえだがなす、むかしから、それを逢魔沼と云うほどでの、樹木が森々として凄いでや、めった・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・自分は点頭して得心の意を示した。母は自分の顔を見て危む風で「おまえ泊れるかい夜半時分に泣出しちゃ困るよ」と笑ってる。お松は自分が何と云うかと思うらしく自分の顔色を見てる。「泊れるでしょう」 お松はこう云って熱心に自分に摺寄った。お松・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・と質すと、源三は術無そうに、かつは憐愍と宥恕とを乞うような面をして微に点頭た。源三の腹の中は秘しきれなくなって、ここに至ってその継子根性の本相を現してしまった。しかし腹の底にはこういう僻みを持っていても、人の好意に負くことは甚く心苦しく・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・人をしてなるほどと首肯点頭せしむるに足るだけの骨董を珍重したのである。食色の慾は限りがある、またそれは劣等の慾、牛や豚も通有する慾である。人間はそれだけでは済まぬ。食色の慾が足り、少しの閑暇があり、利益や権力の慾火は断えず燃ゆるにしてもそれ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・なお黙ってはいたが、コックリと点頭して是認した彼の眼の中には露が潤んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが華はなばなしく明るく落ちて、その薄汚い頬被りの手拭、その下から少し洩れている額のぼうぼう生えの髪さき、垢じみた赭い顔、それらのすべてを無・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・人によると、生涯に一度も無我の境界に点頭し、恍惚の域に逍遥する事のないものがあります。俗にこれを物に役せられる男と云います。かような男が、何かの因縁で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子が絶世の美人に惚れられたように喜びます。「意・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫