・・・ 僕は誰にでも急っつかれると、一層何かとこだわり易い親譲りの片意地を持合せていた。のみならずそのボオトの残した浪はこちらの舟ばたを洗いながら、僕の手をカフスまでずぶ濡れにしていた。「なぜ?」「まあ、なぜでも好いから、あの女を見給・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・それが恵印に出会いますと、ふだんから片意地なげじげじ眉をちょいとひそめて、『御坊には珍しい早起きでござるな。これは天気が変るかも知れませぬぞ。』と申しますから、こちらは得たり賢しと鼻を一ぱいににやつきながら、『いかにも天気ぐらいは変るかも知・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ それにつけてもわたしの家ですが、御承知のとおり親父はまことに片意地の人ですから、とてもわたしの言うことなどは聞いてくれそうもありませぬ。それに昨今どうやらわたしの縁談ばなしがある様子に見えます。また間違いの起こらぬうちに早くというよう・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・無言で一日暮すこともあり、自分の性質の特色ともいうべき温和な人なつこいところは殆ど消え失せ、自分の性質の裏ともいうべき妙にひねくれた片意地のところばかり潮の退た後の岩のように、ごつごつと現われ残ったので、妻が内心驚ろいているのも決して不思議・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・維新の風雲に会しながらも妙な機から雲梯をすべり落ちて、遂には男爵どころか県知事の椅子一にも有つき得ず、空しく故郷に引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって変物である、頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・第二に、案外片意地で高慢なところがあって、些細な事に腹を立てすぐ衝突して職業から離れてしまう。第三に、妙に遠慮深いところがあること。 なるほどそう聞かされると翁の知人どものいわゆる『理由』は多少の『理由』を成している。 けれど大なる・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・貧乏していると、へんに片意地になるもので、どんな親しい人からでも、お金の世話になりたくないものです。はばかりながら人に不義理はしていねえ、という事だけが、せめてもの唯一の誇りのようであります。その誇り一つで生きているものです。どうか、お怒り・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ラプンツェルには、やっぱり小さい頃の、勝気な片意地の性質が、まだ少し残っているようであります。苦労を知らない王子には、そんな事の判ろう筈がありませぬ。ラプンツェルが突然、泣き出したので、頗る当惑して、「君は、まだ、疲れているんだ。」と勝・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・これに反して木製の柄で割り竹を無理にしめつけたのは、なんとなく手ごたえが片意地で、柄の付け根で首がちぎれやすい。 そんな理屈はどうでもよいとして、こうまでも「流行」という、えたいの知れぬ人工的非科学的な因子が、送風器械としては本来科学的・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 自分さえ打ちとければ、それに対して片意地な心を持つ者は誰もいないなどと思わないお石は、小さい娘達まで心のひねくれた大人扱いにして、自分独りですねていたのである。 辞退はされるが、どうか何なり欲しいものを云ってくれという使の趣を話さ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫