・・・何でも奇俊王家郎と称されたと云うから、その風采想うべしである。しかも年は二十になったが、妻はまだ娶っていない。家は門地も正しいし、親譲りの資産も相当にある。詩酒の風流を恣にするには、こんな都合の好い身分はない。 実際また王生は、仲の好い・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・英国の王家が月桂詩人の称号をスウィンバーンに与えないで、オースチンに年々二、三百磅の恩給を贈るのは、単に王家がこの詩人に対する好悪の表現と見ればそれまでである。けれども国家の与うべき報酬は、一銭一厘たりとも好悪によって支配さるべきではない。・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・広場には一本も木がなく正面には三つほどの入口が見えて居て中央の一番大きい入口の左右の二本柱に王家の紋章が彫られて居る。しおれかかった赤い花が一っかたまりその下に植えられて居る。家の壁と石造の四角な煙突に這いかかったつたが赤く光っ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・アメリカからの帰途イタリーのカプリ島により当分そこで静養することにし、一九一三年ロマノフ王家三百年記念の大赦によってロシアにかえるまで八年間カプリに止った。 ところで、非常に一般化されている「どん底」に一言ふれるならば、この作は傑作であ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・この旅行の帰途ゴーリキイは政治的移民として、イタリーのカプリ島に行き、一九一三年ロマノフ王家三百年記念大赦令が出るまで八年間カプリに止ることになった。 イタリーでゴーリキイはレーニンによって高く評価された小説「母」を書き、「オクロフ町」・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
・・・つ社会の推移につれて偶然と努力との結果、次第に地方地主となりさらに押しすすむ時代の波にうたれて一族のある者は封建的な軍閥将軍に、ある者は近代中国資本主義の立役者になり、その孫のある者は急進的な道に進む王家の三代の歴史が、中国の複雑な社会の相・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
出典:青空文庫