・・・某画伯のこの花を写生した気持ちのいい絵の事をも思い出したりしていた。 再び通りかかった細君に「オイわかったよ、フリージアだよ、これは……」と言って説明しようとした。それからまた老母の所へ行って植え付け場所を相談したりした。 翌日にな・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・日本でのんだいちばんうまいコーヒーはずっと以前にF画伯がそのきたない画室のすみの流しで、みずから湯を沸かしてこしらえてくれた一杯のそれであった。 コーヒーに限らず、デパートの商品でも、あのようにたくさんにあるものの中で自分の趣好に適合す・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物の整理をしているのを見付けて、預けた蝙蝠傘を出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を捜しあてた。同君の二人の子供も一緒に居た。その時気のついたのは附近の大木の枯枝の大きなのが・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・それから画伯デュラーの住居の跡も見ましたが、そこの入場券が富札になっています。名高い古城の片すみには昔の刑具を陳列した塔があります。色の青い小さい女が説明して歩く。いっしょに見て歩いた学生ふうの男がこの案内者に「お前さんのように毎日朝から晩・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・不折、黙語、外面諸画伯の挿画や裏絵がまたそれぞれに顕著な個性のある新鮮な活気のあるものであった。現在のようなジャーナリズム全盛時代ではおそらく大多数のこうした種類の挿画や裏絵は執筆画家の日常の職業意識の下に制作されたものであろうと思うが、あ・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・如何となれば巴里風のカッフェーが東京市中に開かれたのは実に松山画伯の AU PRINTEMPS を以て嚆矢となすが故である。当時都下に洋酒と洋食とを鬻ぐ店舗はいくらもあった。又カウンターに倚りかかって火酒を立飲する亜米利加風の飲食店も浅草公・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫