・・・先生の食卓には常の欧洲人が必要品とまで認めている白布が懸っていなかった。その代りにくすんだ更紗形を置いた布がいっぱいに被さっていた。そうしてその布はこの間まで余の家に預かっていた娘の子を嫁づける時に新調してやった布団の表と同じものであった。・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・只春の波のちょろちょろと磯を洗う端だけが際限なく長い一条の白布と見える。丘には橄欖が深緑りの葉を暖かき日に洗われて、その葉裏には百千鳥をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅の花――凡ての春の花が、凡ての色を尽くして、咲きては乱れ、乱れて・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・イキレた空気の中に電燈が煌いている。白布をかけたテーブルがあっちこっちにあり、大きい長椅子がある。ピアノがガンガン鳴る。弾いてるのは赤い服きた瘠せた女だ。肩の骨をだして髪をふりながら自棄に鳴らしている。 長椅子の上では、やっと大人になり・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・ 店と云えば、僅か二尺に三尺位の長方形の台がある許りだ。白布がいやに折目正しく、きっぱりかけてある。その上に、十二三箇小さな、黄色い液体の入った硝子瓶がちらばら置かれている。白布の前から一枚ビラが下っていた。「純良香水。一瓶三十五銭・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・一寸見ると青年団員か何かかと思われるカーキ色ずくめのその若い男は、汽車が古河という小さい駅に停った時、どうしたわけかグズグズに繩のゆるんだ白布張りの行李を自分でかついで乗り込んで来た。そして、場席はほかのところにいくらも空いているのに、子供・・・ 宮本百合子 「東京へ近づく一時間」
出典:青空文庫