・・・ここで桐の箱も可懐しそうに抱しめるように持って出て、指蓋を、すっと引くと、吉野紙の霞の中に、お雛様とお雛様が、紅梅白梅の面影に、ほんのりと出て、口許に莞爾とし給う。唯見て、嬉しそうに膝に据えて、熟と視ながら、黄金の冠は紫紐、玉の簪の朱の紐を・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・その継娘は、優しい、うつくしい、上品な人だったが、二十にもならない先に、雪の消えるように白梅と一所に水で散った。いじめ殺したんだ、あの継母がと、町内で沙汰をした。その色の浅黒い後妻の眉と鼻が、箔屋を見込んだ横顔で、お米さんの前髪にくッつき合・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・はじめ、白梅かと思った。ちがった。その弟の白いレンコオトだった。 季節はずれのそのレンコオトを着て、弟は寒そうに、工場の塀にひたと脊中をくっつけて立っていて、その塀の上の、工場の窓から、ひとりの女工さんが、上半身乗り出し、酔った弟を、見・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・「やっぱり梅は、紅梅よりもこんな白梅のほうがいいようですね。」「いいものだ。」すたすた行き過ぎようとなさる。私は追いかけて、「先生、花はおきらいですか。」「たいへん好きだ。」 けれども、私は看破している。先生には、みじん・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・その証拠には西洋第一流の大家の最も優れた論文に対してさえも、第三流以下の学者の岡目から何かしら尤もらしい望蜀的の不満を持ち出してそれを抗議の種にすることは比較的容易なことである。白梅の花を見て色のないのを責めるような種類の云わば消極的な抗議・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 蕪村の句の理想と思しきものを挙ぐれば河童の恋する宿や夏の月湖へ富士を戻すや五月雨名月や兎のわたる諏訪の湖指南車を胡地に引き去る霞かな滝口に燈を呼ぶ声や春の雨白梅や墨芳ばしき鴻臚館宗鑑に葛水たまふ大臣かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・田端の白梅の咲いている日当りよい崖の上に奥さんと暮していて、一日じゅう障子の前に座り、一つ一つと紙に指で穴をあけて、それを見て笑っているという気違いであった。そして遂に正気に戻らず亡くなった。 品川の伯父さんは、良人が留守な姪の子たちを・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・梅林があり、白梅が真盛りで部屋へ薫香が漲っていたのをよく覚えている。何にしろ年少な姉弟ぎりの旅だったので、収穫はから貧弱であった。博物館で僅の仏像を観た位のものであった。然し、足にまかせ、あの暢やかなスロープと、楠の大樹と、多分馬酔木という・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
・・・ その切どおしの崖上に白梅園というところがあったり、その附近に芥川龍之介氏の住居のあることなどが話題になったのは、ずっとずっとあとのことである。 切どおしの崖の上に一軒の家があって、私が母につれられて行ったことがあった。そこは謙吉さ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
出典:青空文庫