・・・ 武蔵野ではまだ百舌鳥がなき、鵯がなき、畑の玉蜀黍の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている白樺の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・青ぎった空に翠の松林、百舌もどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」 顔から頸から汗を拭いた跡のつやつや・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・その中で沼南夫人は百舌や鴉の中のインコのように美しく飾り立てて脂粉と色彩の空気を漂わしていた。 この五色で満身を飾り立ったインコ夫人が後に沼南の外遊不在中、沼南の名誉に泥を塗ったのは当時の新聞の三面種ともなったので誰も知ってる。今日これ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ もう暁刻の百舌鳥も来なくなった。そしてある日、屏風のように立ち並んだ樫の木へ鉛色の椋鳥が何百羽と知れず下りた頃から、だんだん霜は鋭くなってきた。 冬になって堯の肺は疼んだ。落葉が降り留っている井戸端の漆喰へ、洗面のとき吐く痰は、黄・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・野末はるかに百舌鳥のあわただしく鳴くが聞こゆ。純白の裏羽を日にかがやかし鋭く羽風を切って飛ぶは魚鷹なり。その昔に小さき島なりし今は丘となりて、その麓には林を周らし、山鳩の栖処にふさわしきがあり。その片陰に家数二十には足らぬ小村あり、浜風の衝・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 高い木のてっぺんで百舌鳥が鳴いているのを見ると、六蔵は口をあんぐりあけて、じっとながめています。そして百舌鳥の飛び立ってゆくあとを茫然と見送るさまは、すこぶる妙で、この子供には空を自由に飛ぶ鳥がよほど不思議らしく思われました。・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・東京市何区何町の真中に尾花が戦ぎ百舌が鳴き、狐や狸が散歩する事になったのは愉快である。これで札幌の町の十何条二十何丁の長閑さを羨まなくてもすむことになったわけである。 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・草刈。百舌が来たが鳴かず。夕方の汽車で帰る頃、雷雨の先端が来た。加藤首相葬儀。八月二十九日 曇、午後雷雨 午前気象台で藤原君の渦や雲の写真を見る。八月三十日 晴 妻と志村の家へ行きスケッチ板一枚描く。九月一日・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥が世話しく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。其村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があって其傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ 沓の代はたられて百舌鳥の声悲し 馬の尾をたばねてくゝる薄かな 菅笠のそろふて動く芒かな 駄句積もるほどに峠までは来りたり。前面忽ち見る海水盆の如く大島初島皆手の届くばかりに近く朝霧の晴間より一握りほどの小岩さえ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
出典:青空文庫