・・・十四世紀の後半にエドワード三世の建立にかかるこの三層塔の一階室に入るものはその入るの瞬間において、百代の遺恨を結晶したる無数の紀念を周囲の壁上に認むるであろう。すべての怨、すべての憤、すべての憂と悲みとはこの怨、この憤、この憂と悲の極端より・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 彼女は瞬をした。彼女は見ていたのだ。そして呼吸も可成り整っているのだった。 私は彼女の足下近くへ、急に体から力が抜け出したように感じたので、しゃがんだ。「あまりひどいことをしないでね」と女はものを言った。その声は力なく、途切れ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・名残の光は遠方の樹々の上に瞬をしている。今赤い靄が立ち昇る。あの靄の輪廓に取り巻かれている辺には、大船に乗って風波を破って行く大胆な海国の民の住んでいる町々があるのだ。その船人はまだ船の櫓の掻き分けた事のない、沈黙の潮の上を船で渡るのだ。荒・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・(一瞬百由旬を飛んでいるぞ。けれども見ろ、少しも動いていない。少しも動かずに移私は斯うつぶやくように考えました。 天人の衣はけむりのようにうすくその瓔珞は昧爽の天盤からかすかな光を受けました。(ははあ、ここは空気の稀薄が殆んど真・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・みなさんは瞬やくしゃみをしないで目をまんまろに開いて見ていて下さい。 それから今夜は大切な二人のお客さまがありますからどなたも静かにしないといけません。決してそっちの方へ栗の皮を投げたりしてはなりません。開会の辞です。」 みんな悦ん・・・ 宮沢賢治 「雪渡り」
・・・そして、息をのむ大洪水の瞬下に此あわれに 早老な女の心を溺れ死なせ。波頭に 白く まろく、また果かなく少女時代の夢のように泡立つ泡沫は新たに甦る私の前歯とはならないか。打ちよせ 打ち返し轟く永遠の動きは鈍痲し易い・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・の其の瞬刻に置かれるべきでございますまいか。何の為の先覚者でございましょう? けれども、私共は一方から申せば共通な人間の不思議な弱点――或は力の他の一面に対して寛大でなければなりません。が、左様な態度は二重に不幸を醸さずには置きません。第一・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
時 神の第十瞬期処 天の第二級天の上神 ヴィンダーブラ ミーダ カラ イオイナ その他 此等の神々の使者数多。天の第二級雲の上にある宮。もくもくした灰色又は白の積雲・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ ほんの瞬をする間に此等のことを考え、安心すべき明かな理由のある他の家族のことを思い、少し、心が冷静になった。それにつれて、号外の全部に対し、半信半疑な心持になった。全市の交通、通信機関が途絶してしまった以上、内部の正確な報知を、容易に・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫