・・・目は瞬きもやんだように、ひたと両の瞳を据えたまま、炭火のだんだん灰になるのを見つめているうちに、顔は火鉢の活気に熱ってか、ポッと赤味を潮して涙も乾く。「いよいよむずかしいんだとしたら、私……」とまた同じ言を呟いた。帯の間から前の端書を取・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・そこは献納提灯がいくつも掛っていて、灯明の灯が揺れ、線香の火が瞬き、やはり明るかったが、しかし、ふと暗い隅が残っていたりして、道頓堀の明るさと違います。浜子は不動明王の前へ灯明をあげて、何やら訳のわからぬ言葉を妙な節まわしで唱えていたかと思・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 豊吉の目は涙にあふれて来た。瞬きをしてのみ込んだ時、かれは思わはずその涙をはふり落とした。そして何ともいえない懐しさを感じて、『ここだ、おれの生まれたのはここだ、おれの死ぬのもここだ、ああうれしいうれしい、安心した』という心持ちが心の・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・一陣の風はさっと起って籠洋燈の火を瞬きさせた。夜の涼しさは座敷に満ちた。 幸田露伴 「太郎坊」
・・・色白くふっくりふくれた丸ぽちゃの顔、おとがい二重、まつげ長くて、眠っているときの他には、いつもくるくるお道化ものらしく微笑んでいる真黒い目、眼鏡とってぱしぱし瞬きながら嗅ぐようにして雑誌を読んでいる顔、熊の子のように無心に見えて、愛くるしく・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ 自働電話の送信器の数字盤が廻るときのカチカチ鳴る音と自働連続機のピカピカと光る豆電燈の瞬きもやはり同じような考えを応用して出来た機構の産物であると見れば見られなくはないであろう。 このように、二千年前の骨董の塵の中にも現代最新の発・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・それらの灯のあるものは点ったと思うとパチ/\/\とせわしなく瞬きをしてふっと消える。器械の機構を何も知らないものの眼で見ていると、その豆電燈の明滅が何を意味するのか全く見当がつかない。ただ全く偶然な蛍火の明滅としか思われないであろう。しかし・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・見るとそれは黄道に近いところにあるし、チラチラ瞬きをしないからいずれ遊星にはちがいないと思った。そして近刊の天文の雑誌を調べてみるとそれが火星だという事がすぐに判った。星座図を出して来てあたってみるとそれは処女宮の一等星スピカの少し東に居る・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
四五日前に、善く人にじゃれつく可愛い犬ころを一匹くれて行った田町の吉兵衛と云う爺さんが、今夜もその犬の懐き具合を見に来たらしい。疳癪の強そうな縁の爛れ気味な赤い目をぱちぱち屡瞬きながら、獣の皮のように硬張った手で時々目脂を拭いて、茶の・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・しかしさすがに声はかけず、鋭い眼付で瞬き一ツせず車掌の姿に注目していた。車の硝子窓から、印度や南清の殖民地で見るような質素な実利的な西洋館が街の両側に続いて見え出した。車の音が俄かに激しい。調子の合わない楽隊が再び聞える。乃ち銀座の大通を横・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫