・・・ 命令通りすればいいんだ!」 俺のあとから、七十人位やって来た。みな、銃と剣と弾薬を持った。そこで防備は、どこだと思う? 古城子の露天掘りだ! 石炭を掘っている苦力の番をするのだ。「なに! 苦力の番だって! 馬鹿にしてやがら!」・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・たゞ、僅かに水兵の石炭積みの苦痛が一行だけ述べられてある。そして、それきりだ。ある時は、水兵は、彼には壮漢と見えた。 この士官階級以上に対してしか彼の関心がむけられなかったことは、後の小説「別天地」に於ても明かに看取されるし、他の戦争以・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・お風呂番をしながら、蜜柑箱に腰かけ、ちろちろ燃える石炭の灯をたよりに学校の宿題を全部すましてしまう。それでも、まだお風呂がわかないので、東綺譚を読み返してみる。書かれてある事実は、決して厭な、汚いものではないのだ。けれども、ところどころ作者・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・また他の人と石炭のエネルギーの問題を論じている中に、「仮りに同一量の石炭から得られるエネルギーがずっと増したとすれば、現在より多数の人間が生存し得られるかもしれないが、そうなったとした場合に、それがために人類の幸福が増すかどうかそれは疑問で・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・穴の奥でひとしきりゴオと風の音がすると、焔は急に大きくなって下の石炭が活きて輝き始める。 炉の前に、大きな肘掛椅子に埋もれた、一人の白髪の老人が現われる。身動き一つしないで、じっと焔を見詰めている。焔の中を透して過去の幻影を見詰めている・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・軍国の兵力の強さもある意味ではどれだけ多くの火薬やガソリンや石炭や重油の煙を作り得るかという点に関係するように思われる。大砲の煙などは煙のうちでもずいぶん高価な煙であろうと思うが、しかし国防のためなら止むを得ないラキジュリーであろう。ただ平・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・橋の下から湧き昇る石炭の煙が、時々は先の見えぬほど、橋の上に立ち迷う。これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼は忽ち佃島の彼方から深川へとかけられた一条の長い橋の姿に驚かされた。堤の上の小さい松の並木、橋の上の人影までが、はっきり絵の・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・野橋をわたって南千住に通じ、一ツは白鬚橋の袂に通じているが、ここに瓦斯タンクが立っていて散歩の興味はますますなくなるが、むかしは神明神社の境内で梅林もあり、水際には古雅な形の石燈籠が立っていたが、今は石炭を積んだ荷船が幾艘となく繋れているば・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・世の中に何が汚ないと云って石炭たきほどきたないものは滅多にない。そうして、あの黒いものはみんな金がとりたいとりたいと云って煙突が吐く呼吸だと思うとなおいやです。その上あの煙は肺病によくない。――しかし私はそんな事は忘れて一種の感を得た。その・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・彼の眼と髪は石炭の様に黒い。その髪は渦を巻いて、彼が頭を掉る度にきらきらする。彼の眼の奥には又一双の眼があって重なり合っている様な光りと深さとが見える。酒の味に命を失い、未了の恋に命を失いつつある彼は来るべき戦場にもまた命を失うだろうか。彼・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫