・・・ 今年は米国へ招かれて講演に行った。その帰りに英国でも講演をやった。その当時の彼の地の新聞は彼の風采と講演ぶりを次のように伝えている。「……。ちょっと見たところでは別に堂々とした様子などはない。中背で、肥っていて、がっしりしている。・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
一 永遠の緑 この英国製映画を同類の米国製レビュー映画と比べると一体の感じが随分ちがっている。後者の尖鋭なスマートな刺戟の代りに前者にはどこかやはり古典的な上品な滋味があるような気がする。 この映画の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・これだけならば米国でもドイツでも日本でもいつでもできる仕事であると思われるかもしれない。しかし実際はこの場合の巧拙を決定するものはほんのわずかな呼吸である。画面連続の時間的分配を少しでも誤れば効果は全然別のものになるであろうと思われる。要す・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・この同じ見せものにその後米国へ渡って、また偶然出くわした。これだけの特技があれば世界を胯にかけて食って行けるのだと感心した。これを見ておもしろがる人々はただ妙技に感心するだけではなくて、やはり影絵のもつ特殊の魅惑に心酔するのである。 こ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・今の米国人の中にでも黒人は人間と思っていない仲間があることはリンチの事実が証明する。 北氷洋の白熊は結局、カメラも鉄砲も繩も鎖もウインチも長靴も持っていなかったために殺され生け捕られたに過ぎないように思われる。 二 製陶・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ 昭和六年の秋米国各大学における講演を頼まれて出張し、加州大学、スタンフォード大学、加州及びマサチュセッツのインスチチュート・オブ・テクノロジーその他で、講義、あるいは非公式談話をした。帰路仏国へ渡ってパリでも若干の講演を試みた。三月九・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・店の男がもみ手をしながら、とにかく口の先で流麗に雄弁なわび言を言って、頭をぴょこぴょこ下げて、そうした給仕女をしかって見せるところであろうが、時代の一転した一九三五年の給仕監督はきわめて事務的に冷静に米国ふうに事がらを処理していた。媚びず怒・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・教科書は米国の『ナショナル・リーダー』であった。中学校に進んで、一、二年の間はその頃新に文部省で編纂した英語読本が用いられていたが書名は今覚えていない。この読本は英国人の教師が生徒の発音を正しくするために用いたので、訳読には日本人の教師が別・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・わたくしは曾て米国に在った時米国の俳優の演ずるモリエールの戯曲を聴くことを好まなかった。それと同じ理由から、わたくしは日本語に翻訳せられた西洋の戯曲と、殊に歌謡の演出に対して感興を催すことの甚困難であることを悲しむものである。 帝国劇場・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・わたしは主人公とすべき或婦人が米国の大学を卒業して日本に帰った後、女流の文学者と交際し神田青年会館に開かれる或婦人雑誌主催の文芸講演会に臨み一場の演説をなす一段に至って、筆を擱いて歎息した。 初めわたしはさして苦しまずに、女主人公の老父・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫