・・・あれでも気の優しい素直な男だわ。お前さんもあんな男を亭主に持てば好かったのだわ。何を笑うの。それにね、あの人は堅いのよ。わたしより外の女に関係していないということは、わたし受け合っても好いの。なぜ笑うの。いつかもわたしに打ち明けて話したわ。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・彼女があやし、叱り、機嫌などを取ってやると、喋る大人がしてやるより、遙か素直にききわけます。 スバーは小舎に入って来ると、サーツバシの首を抱きました。又、二匹の友達に頬ずりをします。パングリは、大きい親切そうな眼を向けて、スバーの顔をな・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・兄にとっては、ただ冗談だけでそんなことをしていたのでは無く、自身の肉体消滅の日時が、すぐ間近に迫っていることを、ひそかに知っていて、けれども兄の鬼面毒笑風の趣味が、それを素直に悲しむことを妨げ、かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・私の書くものが、それがどんな形式であろうが、それはきっと私の全存在に素直なものであった筈である。この安心は、たいしたものだ。すっかり居直ってしまった形である。自分ながらあきれている。どうにも、手のつけようがない。 ひとつ君を、笑わせてあ・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・先生は一面非常に強情なようでもあったが、また一面には実に素直に人の言う事を受けいれる好々爺らしいところもあった。それをいいことにして思い上がった失礼な批評などをしたのは済まなかったような気がする。いつかおおぜいで先生を引っぱって浅草へ行って・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・桂三郎も素直に応じた。「だが会社の方へ悪いようだったら」「それは叔父さん、いいんです」 私は支度を急がせた。 雪江は鏡台に向かって顔を作っていたが、やがて派手な晴衣を引っぴろげたまま、隣の家へ留守を頼みに行ったりした。ちょう・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・元来が鷹揚なたちで、素直に男らしく打ちくつろいでいるようにみえるのが、持って生まれたこの人の得であった。それで自分も妻もはなはだ重吉を好いていた。重吉のほうでも自分らを叔父さん叔母さんと呼んでいた。二 重吉は学校を出たばかり・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・戦争は、客観的な真実に対して素直である人間の理性をうちこわした。そしてわたしたちは長い間、客観的な文芸評論というものを持たされなかった。きょう、またおどろくような迅さで、日本の人民生活と文化とが高波にさらされようとしているとき、文学を文学と・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・親父がぴょこぴょこお辞儀をして、酒樽の鏡を抜いて馳走をしたもんだから、拍子抜がして素直に帰って行きゃあがった。ところが二三日するとまた遣って来やがった。倅の方は利かねえ気の奴だったから、野猪狩に持って行く鉄砲を打ち掛けた。そうすると奴共慌て・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ が、この画家には川端氏のごとき山気がない。素直にその感じを現わそうとする芸術家的ないい素質がある。先輩の手法を模倣して年々その画風を変えるごとき不見識に陥らず、謙虚な自然の弟子として着実に努力せられんことを望む。 ――例外の一と二・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫