・・・或る支那の文人に会いに行ったら、紫檀の高い椅子卓子、聯が懸けられたまるで火の気のない室へ通された。芥川さんは胴震いをやっと奥歯でくいしめていると、そこへ出て来た主人である文人が握手した手はしんから暖く、芥川さんは部屋の寒さとくらべて大変意外・・・ 宮本百合子 「裏毛皮は無し」
・・・そんな情景は紫檀の本箱のつまった二階の天地とは異った人間くささで活々としている。祖父は井上円了の心霊学に反対して立会演説などをやったらしいが、祖父の留守の夜の茶の間では、祖母が三味線をひいて「こっくりさん」を踊らしたりした。夫婦生活としてみ・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 床の間に紫檀の台、上に焼きもの。 どくろに蛙がとまっている飾もの 掛ものは歌集のきれ くまもなきかゝ見と見ゆる月影に こゝろうつさぬ人もあらしな 云々○近さァを区長にせよう思っとったら洗濯もんの騒ぎしよったか・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
・・・いつも使っていない二階は不思議な一種の乾いた匂いが漂っていて、八畳の明るい座敷の方から隣の小部屋の一方には紫檀の本箱がつまっていて、艷よく光っていた。森閑としたなかでそうやって光っている本箱はやはりこわさを湛えていて、おじいさまの御本だよ、・・・ 宮本百合子 「祖父の書斎」
・・・パール・バックの作品を近代の堂々とした三面鏡にたとえるならば、冰心女士のこの小説は、紫檀の枠にはめこまれた一個の手鏡というにふさわしい。けれども、このつつましい、繊手なおよくそれを支える一つの手鏡が何と興味つきない角度から、言葉すくなく、善・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・青蓮堂の軒に、紫檀を枠にした古風なぎやまん細工の大燈籠が吊並べてあるの等、地方色豊かだ。青蓮堂に藤左衛門の像、護法堂の有名な彫塑大布袋、大方丈の沈南蘋の牡丹の絵などを見せて貰った。けれども、私共に最も感銘を与えたのは、大観門前に佇んで、低い・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・私とお敬ちゃんは、紫檀の机によっかかって二人ともおそろいの鳴海の浴衣に帯を貝の口にしめて居る。紺の着物の地から帯の桃色がういて居る。「ほんとうにしずかだ事、去年もいつだったかこんな日があったっけ、覚えてる?」 私はほんとうに好い気持・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・母が嫁入りの時持って来てふだんは使われない紫檀の小机がある。それを親たちの寝所になっていた六畳の張出し窓のところへ据えて、頻りに私が毛筆で書き出したのは、一篇の長篇小説であった。題はついていたのか、いなかったのか、なかみを書く紙は大人の知ら・・・ 宮本百合子 「行方不明の処女作」
・・・通って書斎へはいると、そこは板の間で、もとは西洋風の家具が置いてあったのかもしれぬが、漱石は椅子とか卓子とか書き物机とかのような西洋家具を置かず、中央よりやや西寄りのところに絨毯を敷いて、そこに小さい紫檀の机を据え、すわって仕事をしていたら・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫