・・・ゴールスワージーは、魅力ある作家だったけれども、彼の文学にも終点は「人生はこうしたものだ」“Life is such a thing”という言葉がある。ふち飾りである文学が、人類の歴史の進歩に大きく作用する力はなかった。十九世紀のイギリスの・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・そこは、市電の終点で、空の引かえしが明るく車内に電燈を点して一二台留っていた。立ち話をしている黒外套の従業員の前や後を、郊外電車から吐き出された人々が通る。ひょっと、その群集の中に、はる子は千鶴子らしい若い女を認めた。こちらからはる子が進ん・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・志賀直哉の文体は、日本ブルジョア・リアリズムの終点でした。志賀直哉風の描写のうしろにねてはいられないといって、高見順その他の人々があれこれディフォーメーションを試みましたが、それは現実理解のディフォーメーションを結果したばかりであったことが・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ ××終点の引かえし線の安全地帯に立っていたら、すぐうしろで、「ストライキ見に来たよ」と太い男の声がした。ふりかえって見ると、銀モールの太い紐をかけた潰し島田に白博多の帯をしめた浴衣姿の芸者がいて、男はその芸者屋の主人という・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・浦上と云えば、静かな田舎であろうと思って居たところ、長崎の市の真中から電車で四十分ばかりの処だ。終点から川について教わった通り行ったが、二股道にかかり、さてどちらに行ってよいか判らない。丁度十五六の女の子が通りすがった。「天主堂へはどっ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 終点から、細い川沿いに、車掌の教えてくれた通り進んだが、程なく二股道に出た。一方は流れに架った橋を越して、小高い丘の裾を廻る道、一方は真直畑を通る道。何しろ烈しい風の吹きようだ。真正面から吹きまくられて進むことは、二人とも寸時も早く免・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・二人は市電の或る終点で降りて、一斉に街燈が消され、月光に家並を照らし出されている通りを家まで歩いた。 ふだん街の面をぎらつかせているネオンライトや装飾燈が無く、中天から月の明りを受けて水の底に沈んだような街筋を行くと、思いもかけない家と・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・××町の入口を貫いて、或る郊外電車が古くから通じていた。終点が何で、夏は有名な遊園地であった。或る信託会社と、専門家の間ではネゲティブな意味で名を知られているその電気会社とが共同で計画して開いた住宅地が××町であった。自然の起伏を利用した規・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・ 山の手のここは終点である。英国のあらゆる国家的、個人的美徳、老獪、権謀がこの煤けた八本の大柱列内部で週給六十四シリング以下三四十シリングの男女行員達のペンにより簡単明瞭なる「借」「貸」に帰納されつつある。背後に「東端」がひろがり始めて・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
去年の八月の末、谷川君に引っ張り出されて北軽井沢を訪れた。ちょうどその日は雨になって、軽井沢駅に降りた時などは土砂降りであった。その中を電車の終点まで歩き、さらに玩具のように小さい電車の中で窓を閉め切って発車を待っていた時の気持ちは、・・・ 和辻哲郎 「寺田さんに最後に逢った時」
出典:青空文庫