「道標」は、「伸子」から出発している「二つの庭」の続篇として、一九四七年の秋から『展望』誌上にかきはじめた。第一部、第二部、第三部とずっと『展望』にのせつづけて一九五〇年十月二十五日に、ひとまず三つの部分をおわった。 一・・・ 宮本百合子 「「道標」を書き終えて」
・・・の建設。一九四七年一月から〔八〕月まで中央公論につづけて「二つの庭」を書いた。これは二十数年前に書いた「伸子」の続篇であり、また、或る意味での日本インテリゲンチャの歴史ともいえる。十月から展望に「二つの庭」に続く「道標」・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・の民主主義文学についての文学評論のほか、「播州平野」「風知草」などにこの作家にとって独特であった解放のよろこびと戦争への抗議を描き出した。「伸子」の続篇として、一九二七年以後の二十年間の社会思想史の素描ともなる「二つの庭」、「道標」第一部、・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・ さて、ここまで書いてきて、十一月『中央公論』の「青年」続篇をひろげた。林は「青年」第二篇において幾分筆致を引しめて書きすすめているが、第一篇に現れた基本的欠陥は克服されていない。筋は第一篇とおなじに、階級闘争の現段階から逸脱してい・・・ 宮本百合子 「文学に関する感想」
・・・芝居のことその他は続編として別に書きたいと思っている。〔一九二八年八月〕 宮本百合子 「モスクワ印象記」
出典:青空文庫