・・・義兄に当たる春田居士が夕涼みの縁台で晩酌に親しみながらおおぜいの子供らを相手にいろいろの笑談をして聞かせるのを楽しみとしていた。その笑談の一つの材料として芭蕉のこの辞世の句が選ばれたことを思い出す。それが「旅に病んで」ではなくて「旅で死んで・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・夕方この地方には名物の夕凪の時刻に門内の広い空地の真中へ縁台のようなものを据えてそこで夕飯を食った。その時宅から持って行った葡萄酒やベルモットを試みに女中の親父に飲ませたら、こんな珍しい酒は生れて始めてだと云ってたいそう喜んだが、しかしよほ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・よく拭き込んだ板敷の床は凸凹だらけの土間に変り、鏡の前に洋酒の並んだラック塗りの飾り棚の代りには縁台のようなものが並んで、そこには正札のついた果物の箱や籠や缶詰の類が雑然と並んでいた。昔は大きな火鉢に炭火を温かに焚いていたのが、今は煤けた筒・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・夏になると裏の畑に縁台を持ち出して、そこで夜ふけるまで子供を肴にして酒をのんでいた。どうかすると、そこで酔い倒れてしまったのを、おおぜいで寝間までかつぎ込んだものである。どうかするときげんのよくない時もあって、そういう時は子供らは近づいては・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・店とはいっても葦簾囲いの中に縁台が四つ五つぐらい河原の砂利の上に並べてあるだけで、天井は星の降る夜空である。それが雨のあとなどだと、店内の片すみへ川が侵入して来ていて、清冽な鏡川の水がさざ波を立てて流れていた。電燈もアセチリンもない時代で、・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・その鮮やかな色の傍には掛茶屋めいた家があって、縁台の上に枝豆の殻を干したまま積んであった。木槿かと思われる真白な花もここかしこに見られた。 やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・その若い女を見て、何か感情に訴えられるもののあるのは私ばかりでないと見え、縁台を出して涼んでいる者も、わざわざ頭を廻して、彼女の後姿を見送った。然し、言葉に出して批評する者もない。皆がただ或る感をもって目送する。若い女は、そういう人目に一向・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
出典:青空文庫