・・・ 科学者としても理論的科学者でなくてどこまでも実験的科学者であった西鶴が、また人間の経験の習熟練磨の効果を尊重したのは当然のことである。そうした例としては『諸国咄』中の水泳の達人の話、蚤虱の曲芸の話、また「力なしの大仏」の色々の条項を挙・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・古い昔から物語や小説や講談に、どこまでがほんとうでどこまでがうそかはわからぬようなものばかりではあるがとにかく記録が多数に残存し、われわれは知らず知らずそういうものに習熟していつのまにか頭の中にいろいろな殺人事件の類型を作り上げしまいこんで・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・いくら単語をたくさん覚え、文法をそらんじてもよい文章は書けないと同様に、いくら数学に習熟してもそれで立派なオリジナルな論文が書けるとは限らない。これはいうまでもない事である。 数学が一種の国語であるとしても、それはきわめて特別な国語であ・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・になるくらいである。読めぬ人にはアッシリア文は飛白の模様と同じであり、サンスクリット文は牧場の垣根と別に変わったことはないのと一般である。しかし「地図の言葉」に習熟した人にとっては、一枚の図葉は実にありとあらゆる有用な知識の宝庫であり、もっ・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・によってこの上述の魔術に対するわれわれの感受性が養われて来たことである。換言すればわれわれが、長い修業によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。 ステファン・マラルメは仏国の抒情詩をおぼらす「雄弁」を排斥した。彼は散文では現わさ・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・その上、夫婦の愛情をおとりにし、運動に習熟していない妻であるわたしをとおして、宮本顕治をとらえようと計画する企図も試みられた。自分の愛を最もたえがたい方法によって悪用されまいとするだけにも、絶間ない精神と肉体の緊張を必要とした。 一九三・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・千枚近い長篇を熱心に書き通したことは作家としての技術を習熟さすためには大変に役に立った、この作品が比較的好評であったこともあって、それから後いろいろな短篇中篇を書きましたが、どんな題材でも当時の私が書こうとした範囲のものでは一応小説として読・・・ 宮本百合子 「「伸子」について」
出典:青空文庫