・・・ 老松樹ちこめて神々しき社なれば月影のもるるは拝殿階段の辺りのみ、物すごき木の下闇を潜りて吉次は階段の下に進み、うやうやしく額づきて祈る意に誠をこめ、まず今日が日までの息災を謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡りて軍の巷危うきを犯し、露に伏・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・右は畑、左は堤の上を一列に老松並ぶ真直の道をなかば来たりし時、行先をゆくものあり。急ぎて燈火さし向くるに後姿紀州にまぎれなし。彼は両手を懐にし、身を前に屈めて歩めり。「紀州ならずや」呼びかけてその肩に手を掛けつ、「独りいずこに行かん・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・私なぞも物心地が附いてからは、日がな一日、婆様の老松やら浅間やらの咽び泣くような哀調のなかにうっとりしているときがままございました程で、世間様から隠居芸者とはやされ、婆様御自身もそれをお耳にしては美しくお笑いになって居られたようでございまし・・・ 太宰治 「葉」
・・・わたくし達一同の視線は唯前栽の中に咲いている箱根ウツギと池の彼方に一本生残っている老松の梢に空しく注がれるばかりであった。園主佐原氏は久しく一同とは相識の間である。下婢に茶菓を持運ばせた後、その蔵幅中の二三品を示し、また楽焼の土器に俳句を請・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・ 晴れた日に砂町の岸から向を望むと、蒹葭茫々たる浮洲が、鰐の尾のように長く水の上に横たわり、それを隔ててなお遥に、一列の老松が、いずれもその幹と茂りとを同じように一方に傾けている。蘆荻と松の並木との間には海水が深く侵入していると見えて、・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・その雑誌の編輯をしていた友達と私とは、小石川の老松町に暮していたのであった。 小熊さんはそのとき北海道の旭川であったか、これまでつとめていた新聞をやめて上京して来たわけであった。やっぱり特徴のある髪の毛と細面な顔だちで、和服に袴の姿であ・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・ どの家へ移った原因にも、みんな夫々の生活の時代が語られているのだけれど、その老松町の家に暮した時分、忘られない犬のことがある。 音羽の通りへ出るに、大塚警察の横のひろい坂をよく通った。もう十四五年にもなるから、代が変っているかもし・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・最初、私共は、小石川老松町の家にいて、四月二十七日に自分達が東京駅から九州へ出発しよう等と夢にも考えていなかった。三月初旬に、Yは大腸カタールをした。家にいては食物の養生が厳格に行かない。「病院へ入る方がいいのよ、」と私が云った。「そう――・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 一九二五年四月〔牛込区馬場下町東光館 富澤有為男宛 小石川区高田老松町五九より〕 原稿を拝見いたしました。 遠慮なく加筆したところもあり、削ったところもございます。何卒あしからず。「この頃の若いもの云々」の話、率直・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
十二月二十七日 湯ヶ島へ出立。 すっかり仕度が出来上ったが余り時間がない。俥でことこと行くよりはと、フダーヤ老松町の通へ空車を捕えに出た。早朝なのでなし。かえって、一台だけ来た人力車にのって先へ出かけ、自分二十分も待たされて出発。列・・・ 宮本百合子 「湯ヶ島の数日」
出典:青空文庫