・・・源太夫が家内の者の話に、甚五郎はふだん小判百両を入れた胴巻を肌に着けていたそうである。 天正十一年に浜松を立ち退いた甚五郎が、はたして慶長十二年に朝鮮から喬僉知と名のって来たか。それともそう見えたのは家康の僻目であったか。確かな事は・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・ 伊織は万一の時の用心に、いつも百両の金を胴巻に入れて体に附けていた。それを出すのは惜しくはない。しかし跡五十両の才覚が出来ない。そこで百五十両は高くはないと思いながら、商人にいろいろ説いて、とうとう百三十両までに負けて貰うことにして、・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・そこには常に良人の脱さなかった胴巻が蹴られたように垂れ落ちて縮んでいた。絹の敷布は寝台の上から掻き落されて開いた緞帳の口から湿った枕と一緒にはみ出ていた。 ナポレオンは寝台に腰を降ろすとルイザの脹らかな腰に手をかけた。だが、彼は今ハプス・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫