・・・馬丁にも一杯飲ませてやったら、亭前の花園の黄色い花を一輪ずつとってくれた。N氏がそれを襟のボタン穴にさしたからT氏と自分もそのとおりにした。馬丁はうれしそうにニコニコしていた。 五 アラビア海から紅海へ四月二十日・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・向うへ越して交番に百花園への道を尋ね、向島堤上の砂利を蹴って行く。空いつの間にか曇りてポツリ/\顔におつれどさしたる事もなければ行手を急いで上へ/\と行く。道右へ廻りて両側に料理屋茶店など立ち並ぶ間を行く。右手に萩の園と掛札ある家を、これが・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・このような闘争殺戮の世界が、美しい花園や庭の木立ちの間に行なわれているのである。人間が国際連盟の夢を見ている間に。 ある学者の説によると、動物界が進化の途中で二派に分かれ、一方は外皮にかたいキチン質を備えた昆虫になり、その最も進歩したも・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・墓はターリング・プレースの花園に隣った寺の墓地の静かな片隅にある。赤い砂岩の小さな墓標には "For now we see in a glass darkly, but then face to face." と刻してある。その後ウェストミ・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・すると前には見えなかった別の扉のようなものがすうと開いて、それをはいって行くと前とはまたまるでちがった風物の花園が眼前に広がって行くのである。そういうことを繰り返していると単なる前句の十七字には無数の扉があり窓があって、それがみなそれぞれの・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・向嶋の百花園などへ行っても梅は大方枯れていた。向嶋のみならず、新宿、角筈、池上、小向井などにあった梅園も皆閉され、その中には瓦斯タンクになっていた処もあった。樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中の神社仏閣の境内にあ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・次に停車した地蔵阪というのは、むかし百花園や入金へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端に石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉納の小さな幟が紅白幾流れともなく立っている。淫祠の興隆は時勢の力もこれを阻止することが・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
友の来って誘うものあれば、わたくしは今猶向島の百花園に遊ぶことを辞さない。是恰も一老夫のたまたま夕刊新聞を手にするや、倦まずして講談筆記の赤穂義士伝の如きものを読むに似ているとでも謂うべきであろう。老人は眼鏡の力を借りて紙・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・百花園は白鬚神社の背後にあるが、貧し気な裏町の小道を辿って、わざわざ見に行くにも及ばぬであろう。むかし土手の下にささやかな門をひかえた長命寺の堂宇も今はセメント造の小家となり、境内の石碑は一ツ残らず取除かれてしまい、牛の御前の社殿は言問橋の・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・ 曳舟まで出て見ると、場末の町つづきになって百花園も遠くはない。百花園から堀切の菖蒲園も近くなって来る。堀切のあたりは放水路の流がまだ出来ない時代には樹木の繁った間に小川が流れ込んでいた全くの田園で、菖蒲を植えた庭も四、五カ処はあって、・・・ 永井荷風 「向島」
出典:青空文庫