・・・などと、自分の女房のみじめな死を、よそごとのように美しく形容し、その棺に花束一つ投入してやったくらいの慈善を感じてすましている。これは、いかにも不思議であります。果して、芸術家というものは、そのように冷淡、心の奥底まで一個の写真機に化してい・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・薔薇の花束、白と薄紅がよからむ。水曜日。手渡す時の仕草が問題。○ネロの孤独に就いて。○どんないい人の優しい挨拶にも、何か打算が在るのだと思うと、つらいね。○誰か殺して呉れ。○以後、洋服は月賦のこと。断行せよ。○本気になれ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・その真白い大きい大きい花束を両腕をひろげてやっとこさ抱えると、前が全然見えなかった。親切だった、ほんとうに感心な若いまじめな坑夫は、いまどうしているかしら。花を、危ない所に行って取って来て呉れた、ただ、それだけなのだけれど、百合を見るときに・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・百合の花束を差し出した。「なんですか、それは。」私は、その三、四輪の白い花を、ぼんやり眺めて、そうして大きいあくびが出た。「ゆうべ、あなたが、そう言ったそうじゃないですか。なんにも世話なんか、要らない。部屋に飾る花が一つあれば、それ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・所には落下せず、あらぬかなたの森に住む鷲の巣にばさと落ちて雛をいたずらに驚愕せしめ、或いはむなしく海波の間に浮び漂うが如き結末になると等しく、これは畢竟、とどくも届かざるも問題でなく、その言葉もしくは花束を投じた当人の気がすめば、それでよろ・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・部屋に這入って見ると、机の上に鹿の角や花束が載っていて、その傍に脱して置いて出た古襟があった。窓を開けて、襟を外へ投げた。それから着物を脱いで横になった。しかし今一つ例の七ルウブルの一ダズンの中の古襟のあったことを思い出したから、すぐに起き・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・たとえば蓄音機円盤が出勤簿レジスターの円盤にオーバーラップするとか、あるいはしわくちゃのハンケチを持った手を絞り消して絞り明けると白いばらの花束を整える手に変わる。あるいは室内のトランクが汽車の網棚のトランクに移り変わるような種類である。と・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・花屋のおばさんが花束をさしだす。我れに帰って歩きだす。そういう些細な場面にもやはり些細の真実の描写がある。 気の変な老紳士は観客を笑わせる。踊り場でピストルをひねくり回し、それを取り上げられて後にまた第二のピストルをかくしに探るところな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・茶褐色に変ったげんげやばらの花束や半分喰い欠いだ林檎もあった。修学証書や辞令書のようなものの束ねたのを投げ出すと黴臭い塵が小さな渦を巻いて立ち昇った。 定規のようなものが一把ほどあるがそれがみんな曲りくねっている。升や秤の種類もあるが使・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・一方より見れば、生れて何らの人生の罪悪にも汚れず、何らの人生の悲哀をも知らず、ただ日々嬉戯して、最後に父母の膝を枕として死んでいったと思えば、非常に美くしい感じがする、花束を散らしたような詩的一生であったとも思われる。たとえ多くの人に記憶せ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫