・・・ とすねたように鋭くいったが、露を湛えた花片を、湯気やなぶると、笑を湛え、「ようござんすよ。私はお濠を楽みにしますから。でも、こんなじゃ、私の影じゃ、凄い死神なら可いけれど、大方鼬にでも見えるでしょう。」 と投げたように、片身を・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・桜の枝を踏めばといって、虫の数ほど花片も露もこぼさぬ俺たちだ。このたびの不思議なその大輪の虹の台、紅玉の蕊に咲いた花にも、俺たちが、何と、手を着けるか。雛芥子が散って実になるまで、風が誘うを視めているのだ。色には、恋には、情には、その咲く花・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・その、花片に、いやその腹帯の端に、キラキラと、虫が居て、青く光った。 鼻を仰向け、諸手で、腹帯を掴むと、紳士は、ずぶずぶと沼に潜った。次に浮きざまに飜った帯は、翼かと思う波を立てて消え、紳士も沈んだ。三個の赤い少年も、もう影もない。・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・くいしばっても、閉じても、目口に浸む粉雪を、しかし紫陽花の青い花片を吸うように思いました。 ――「菖蒲が咲きます。」―― 蛍が飛ぶ。 私はお米さんの、清く暖き膚を思いながら、雪にむせんで叫びました。「魔が妨げる、天狗の業だ―・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 枕に沈める横顔の、あわれに、貴く、うつくしく、気だかく、清き芙蓉の花片、香の煙に消ゆよとばかり、亡き母上のおもかげをば、まのあたり見る心地しつ。いまはハヤ何をかいわむ。「母上。」 と、ミリヤアドの枕の許に僵れふして、胸に縋りて・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ ほっと吹く息、薄紅に、折鶴はかえって蒼白く、花片にふっと乗って、ひらひらと空を舞って行く。……これが落ちた大な門で、はたして宗吉は拾われたのであった。 電車が上り下りともほとんど同時に来た。 宗吉は身動きもしなかった。・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・早い話が牡丹の花片のひたしもの、芍薬の酢味噌あえ。――はあはあと、私が感に入って驚くのを、おかしがって、何、牡丹のひたしものといった処で、一輪ずつ枝を折る殺風景には及ばない、いけ花の散ったのを集めても結構よろしい。しかし、贅沢といえば、まこ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・少し遠慮して、間をおいて、三人で斉しく振返ると、一脈の紅塵、軽く花片を乗せながら、うしろ姿を送って行く。……その娘も、町の三辻の処で見返った。春闌に、番町の桜は、静である。 家へ帰って、摩耶夫人の影像――これだと速に説教が出来る、先刻の・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・不思議な処へ行合せた、と思ううちに、いや、しかし、白い山茶花のその花片に、日の片あたりが淡くさすように、目が腫ぼったく、殊に圧えた方の瞼の赤かったのは、煩らっているのかも知れない。あるいは急に埃などが飛込んだ場合で、その痛みに泣いていたのか・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ また壁と壁の支えあげている天井との間のわずかの隙間からは、夜になると星も見えたし、桜の花片だって散り込んで来ないことはなかったし、ときには懸巣の美しい色の羽毛がそこから散り込んで来ることさえあった。・・・ 梶井基次郎 「温泉」
出典:青空文庫