・・・無益な殺生を、するな、なせそと戒める、古女房の老巫女に、しおしおと、青くなって次第を話して、……その筋へなのって出るのに、すぐに梁へ掛けたそうに褌をしめなおすと、梓の弓を看板に掛けて家業にはしないで、茅屋に隠れてはいるが、うらないも祈祷も、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・遠くは山裾にかくれてた茅屋にも、咲昇る葵を凌いで牡丹を高く見たのであった。が、こんなに心易い処に咲いたのには逢わなかった。またどこにもあるまい。細竹一節の囲もない、酔える艶婦の裸身である。 旅の袖を、直ちに蝶の翼に開いて――狐が憑いたと・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・「ここもとは茅屋でも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっと繕っておあげ申せ。」「はい。」 すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、皓歯にスッと含まれた。「あ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・黙々とした茅屋の黒い影。銀色に浮かび出ている竹藪の闇。それだけ。わけもなく簡単な黒と白のイメイジである。しかしなんという言いあらわしがたい感情に包まれた風景か。その銅板画にはここに人が棲んでいる。戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒の・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのもその時のこと、また秋から冬の事のみを今書くというのもそのわけである。九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降り・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
わが青年の名を田宮峰二郎と呼び、かれが住む茅屋は丘の半腹にたちて美わしき庭これを囲み細き流れの北の方より走り来て庭を貫きたり。流れの岸には紅楓の類を植えそのほかの庭樹には松、桜、梅など多かり、栗樹などの雑わるは地柄なるべし、――区何町・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・三先輩は打揃って茅屋を訪うてくれた。いずれも自分の親としてよい年輩の人々で、その中の一人は手製の東坡巾といったようなものを冠って、鼠紬の道行振を被ているという打扮だから、誰が見ても漢詩の一つも作る人である。他の二人も老人らしく似つこらしい打・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・片側は広く開けて野菜圃でも続いているのか、其間に折々小さい茅屋が点在している。他の片側は立派な丈の高い塀つづき、それに沿うて小溝が廻されている、大家の裏側通りである。 今時分、人一人通ろうようは無い此様なところの雪の中を、何処を雪が降っ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 立派なシナ商人の邸宅が土人の茅屋と対照して何事かを思わせる。 椰子の林に野羊が遊んでいる所もあった。笹の垣根が至るところにあって故国を思わせる。道路はシンガポールの紅殻色と違ってまっ白な花崗砂である。 植物園には柏のような大木・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・成島柳北が仮名交りの文体をそのままに模倣したり剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付けて、薄倖多病の才人が都門の栄華を外にして海辺の茅屋に松風を聴くという仮設的哀愁の生活をば、いかにも稚気を帯びた調・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫