・・・電信隊の兵タイは、蟇口から自分の札を出して、比較してみた。「違わないね。……実際、Five なんか一分も違わず刷れとるじゃないか。」「どれ/\。」 局へ内地の新聞を読みに来ている、二三人の居留民が、好奇心に眼を光らせて受付の方へやっ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・彼女は風呂敷に包んだ反物と蟇口の金とを胸算用で、丁度あるかどうかやってみるが頭がぐら/\して分らなくなる。…… 清吉は、こういう想像を走らせながら、こりゃ本当にあることかもしれないぞ、或は、今、現に妻がこうやっているかもしれない。と一方・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・逃げ道のために蝦蟇の術をつかうなんていう、忍術のようなことは私には出来ません。進み進んで、出来る、出来ない、成就不成就の紙一重の危い境に臨んで奮うのが芸術では無いでしょうか。」「そりゃそういえば確にそうだが、忍術だって入用のものだから世・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・『弓張月』で申しますれば曚雲だの利勇だの、『八犬伝』で申しますれば蟇田素藤だの山下定包だの馬加大記だのであります。第三には「端役の人物」で、大善でもない、大悪でもない、いわゆる平凡の人物でありますが、これらの三種の人物中、第一類の善良なる人・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・ はじめこの家にやってきたころは、まだ子供で、地べたの蟻を不審そうに観察したり、蝦蟇を恐れて悲鳴を挙げたり、その様には私も思わず失笑することがあって、憎いやつであるが、これも神様の御心によってこの家へ迷いこんでくることになったのかもしれ・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・「こんな筈ではなかった。蝦蟇のような顔の娘が、釜の中から這って出て来るものとばかり思っていたが、どうもこれは、わしの魔法の力より、もっと強い力のものが、じゃまをしたのに違いない。わしは負けた。もう、魔法も、いやになりました。森へ帰って、あた・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ ここで自白しなければならない事は、私等が交番へはいると同時に、私は蟇口の中から自分の公用の名刺を出して警官に差出した事である。事柄の落着を出来るだけ速やかにするにはその方がいいと思ってした事ではあるが、後で考えてみると、これは愚かなそ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・そしてちょっと鋏に触れるとそれで満足したようにのそのそ向こうへ行って植え込みの八つ手の下で蝶をねらったり、蝦蟇をからかったりしていた。 蝦蟇ではいちばん始めに失敗したようである。たぶん食いつこうとしてどうかされたものと見えて口から白いよ・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・殺風景な下宿の庭に鬱陶しく生いくすぶった八つ手の葉蔭に、夕闇の蟇が出る頃にはますます悪くなるばかりである。何をするのも懶くつまらない。過ぎ去った様々の不幸を女々しく悔やんだり、意気地のない今の境遇に愛想をつかすのもこの頃の事である。自分のよ・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・夏の夕には縁の下から大な蟇が湿った青苔の上にその腹を引摺りながら歩き出る。家の主人が石菖や金魚の水鉢を縁側に置いて楽しむのも大抵はこの手水鉢の近くである。宿の妻が虫籠や風鈴を吊すのもやはり便所の戸口近くである。草双紙の表紙や見返しの意匠なぞ・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫