いつもの様に私は本を持って庭に出た。 書斎の前の木の茂みの深い間々を、静かに読みながら行き来すると、ピッタリと落つきを持って生えた苔の美くしい地面の何とも云えず好い一種の香いが、モタモタした気持をスッキリ澄せて行く。・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・ 自分が廊下を行き来するのを、ほかに見るもののない監房の男たちがじっと眺めているのだが、岨が大きな声で、「えらいところへ出ましたね、寒いゾ」と、坐ったまま首だけのばして云った。保護室を通りすがったら、「馬鹿にしてるね!」・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・けれ共、その細い、やせた体の神経の有りとあらゆるものを、鍋の中に行き来する箸の先に集めて居る小さい者達は、どうして兄の腹立たしい「たくらみ」を見逃すことが有ろう。 子供達の心は、忽ちの内に兄に対する憎しみの心で満ち満ちたものと見え、一番・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫