・・・浅草へ行く積りであったがせっかく根岸で味おうた清閑の情を軽業の太鼓御賽銭の音に汚すが厭になったから山下まで来ると急いで鉄道馬車に飛乗って京橋まで窮屈な目にあって、向うに坐った金縁眼鏡隣に坐った禿頭の行商と欠伸の掛け合いで帰って来たら大通りの・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・通りがかりの行商人などがよく門前で荷をおろし、門流れで顔を洗うたぬれ手ぬぐいを口にくわえて涼んでいる事がある。一日暑い盛りに門へ出たら、木陰で桶屋が釣瓶や桶のたがをはめていた。きれいに掃いた道に青竹の削りくずや鉋くずが散らばって・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・渡り鳥のように四国の脊梁山脈を越えて南海の町々村々をおとずれて来る一隊の青年行商人は、みんな白がすりの着物の尻を端折った脚絆草鞋ばきのかいがいしい姿をしていた。明治初期を代表するような白シャツを着込んで、頭髪は多くは黙阿弥式にきれいに分けて・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・それだけならぼくは冬に鉄道へ出ても行商してもきっと取り返しをつける。けれども、あれぐらい手入をしてあれぐらい肥料を考えてやってそれでこんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見込はないのだ。ぼくはどこへも相談に行くとこがない。学校へ行っ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・千葉のように半農半漁の土地柄でも、女の稼ぎに対する敏感さは、東京に何千と隊をなして来る「千葉のおばさん」行商隊の活動にもあらわれている。そういう場合も、女の立場は或る経済上のよりどころをもっているのである。 日本は海の国というけれども、・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・ 桑の芽は膨らみ麦は延びて、耕地は追々活気づいて来たけれども、もう耕す畑も海老屋の所有にされてしまったお石は、毎日古着や駄菓子を背負っては、近所の部落へ行商に出かけた。 禰宜様宮田は、あんな不意なことで死んでしまうし、家の畑は、とう・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫