・・・中庸というものが群集の全部に行き渡るやいなや、人の努力は影を潜めて、行く手に輝く希望の光は鈍ってくる。そして鉛色の野の果てからは、腐肥をあさる卑しい鳥の羽音が聞こえてくる。この時人が精力を搾って忘れようと勉めた二つの道は、まざまざと眼前に現・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・新しい思想や学説でも、それが多少広く世間に行き渡るころにはもう「流行」はしない事になる。 三 春が来ると自然の生物界が急ににぎやかになる。いろいろの花が咲いたりいろいろの虫の卵が孵化する。気候学者はこういう現象の・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・すると今まで針のように鋭くなっていた自分の神経は次第に柔らいで、名状のできない穏やかな伸びやかな心持ちが全身に行き渡る。始めて快いあくびが二つ三つつづけて出る。ちょうどそのころに枕もとのガラス窓――むやみに丈の高い、そして残忍に冷たい白の窓・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
出典:青空文庫