・・・ こういったふうな状態は、彼をやや神経衰弱に陥れ、睡眠を妨げる結果に導いた。 彼とベッドを並べて寝る深谷は、その問題についてはいつも口を緘していた。彼にはまるで興味がないように見えた。 どちらかといえば、深谷のほうがこんな無気味・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・――尤も、コーターマスター達は、神経衰弱になるほど骨を折った。ギアーを廻してから三十分もして方向が利いて来ると云うのだから、瀬戸中で打つからなかったのは、奇蹟だと云ってもよかった。―― 彼女は三池港で、船艙一杯に石炭を積んだ。行く先はマ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・この時虚子が来てくれてその後碧梧桐も来てくれて看護の手は充分に届いたのであるが、余は非常な衰弱で一杯の牛乳も一杯のソップも飲む事が出来なんだ。そこで医者の許しを得て、少しばかりのいちごを食う事を許されて、毎朝こればかりは闕かした事がなかった・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ただ身体が衰弱するというだけではないので、だんだんに痛みがつのって来る。背中から左の横腹や腰にかけて、あそこやここで更る更る痛んで来る事は地獄で鬼の責めを受けるように、二六時中少しの間断もない。さなくても骨ばかりの痩せた身体に終始痛みが加わ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・床を出て自由に歩き廻る訳には行かないが、さりとて臥きりに寝台に縛られていると何か落付かない焦燥が、衰弱しない脊髄の辺からじりじりと滲み出して来るような状態にあった。 手伝の婆に此と云う落度があったのではなかった。只、ふだんから彼女の声は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・が読者にあたえる印象の総和は、錯雑と神経衰弱的亢奮と個人的な激情の爆発とである。行文のあるところは居心持わるく作者の軽佻さえ感ぜしめる。これはどこから来るのであろうか。「子供の世界」という小市民的な一般観念で、階級性ぬきに子供の生活を「・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・も少しで神経衰弱になると云うところで、ならずに済んでいるのです。卒業さえしてしまえば直ります。」 奥さんもなる程そうかと思って、強いて心配を押さえ附けて、今に直るだろう、今に直るだろうと、自分で自分に暗示を与えるように努めていた。秀麿が・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・佐野も東京には出て見たが、神経衰弱の為めに、学業の成績は面白くなく、それに親戚から長く学費を給してくれる見込みもないから、お蝶が切に願うに任せて、自分は甘んじて犠牲になる。」書いてある事は、ざっとこんな筋であったそうだ。 川桝へ行く客に・・・ 森鴎外 「心中」
・・・そうして、此の新感覚派文学は、資本主義の時代であろうとも、共産主義の時代であろうとも、衰滅するべき必要は文学それ自身の衰弱を外にして、どこにあろうか。 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・むずかしければこそ藤村君は巌頭に立ち、幾万の人は神経衰弱になる、新渡戸先生でさえ神経衰弱である、鮪のさし身に舌鼓を打ったところで解ける問題でない。魚河岸の兄いは向こう鉢巻をもって、勉強家は字書をもってこの問題を超越している。ある人は「粋」の・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫