・・・温泉で、見知越で、乗合わした男と――いや、その男も実は、はじめて見たなどと話していると、向う側に、革の手鞄と、書もつらしい、袱紗包を上に置いて、腰を掛けていた、土耳古形の毛帽子を被った、棗色の面長で、髯の白い、黒の紋織の被布で、人がらのいい・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 紫袱紗の輪鉦を片手に、「誰方の墓であらっしゃるかの。」 少々極が悪く、……姓を言うと、「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」「御不沙汰をいたして済みません。」 黙って俯向いて線香を供えた。細い煙が、裏・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・そこで、工面をし、机の引出しから友達の香典がえしに貰った黒縮緬の袱紗を出した。それを二つにたたみ、鼻の上まで額からかぶる。地がよい縮緬なので、硝子は燦く朝なのに、私の瞼の上にだけは濃い暗い夜が出来る。眠り足らず、幾分過敏になりかけていた神経・・・ 宮本百合子 「春」
・・・――この株券と帳面はここですよ、この黒い袱紗の中です、わかりますか」 奥さんは縞お召の羽織の袖を左右から胸の前で掻き合わせ、立ったまま合点合点をしていたが、急に、「あら大変だ、ね、石川さん、あのダイヤの帯留ね、どこへ行っちゃったかし・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・九時頃になったとき、私は自分宛に来ていた雑誌などを帛紗に包みながら、「さあ、そろそろ引上げようかしら」と云った。父は、渋い赤がちの壁紙を張った食堂の隅の安楽椅子にくつろいで、横顔をスタンドの明りに照らし出されていたが、「なあんだ・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・りよは二品を手早く袱紗に包んで持って出た。 文吉は敵を掴まえた顛末を、途中でりよに話しながら、護持院原へ来た。 りよは九郎右衛門に挨拶して、着換をする余裕はないので、短刀だけを包の中から出した。 九郎右衛門は敵に言った。「そ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・その下で、紫や紅の縮緬の袱紗を帯から三角形に垂らした娘たちが、敷居や畳の条目を見詰めながら、濃茶の泡の耀いている大きな鉢を私の前に運んで来てくれた。これらの娘たちは、伯母の所へ茶や縫物や生花を習いに来ている町の娘たちで二三十人もいた。二階の・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫