・・・僕はこの製本屋の綴じ違えに、――その又綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァン・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・額縁や製本も、少しは測定上邪魔になるそうですが、そう云う誤差は後で訂正するから、大丈夫です。」「それはとにかく、便利なものですね。」「非常に便利です。所謂文明の利器ですな。」角顋は、ポケットから朝日を一本出して、口へくわえながら、「・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・印刷術と製本術とが、機械でされるようになって以来、生産の簡易化は、全く書物に対する考え方を変えてしまいました。同じく、文化を名目とはするものゝ、珍らしい、特志の出版家でもないかぎり、出版は、資本主義機構上の企業であり、商業であり、商品であり・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・その代り生徒に何かしら実用になる手工を必修させ、指物なり製本なり錠前なりとにかく物になるだけに仕込んでやりたいという考えである。これに対してモスコフスキーが、一体それは腕を仕込むのが主意か、それとも民衆一般との社会的連帯の感じを持たせるため・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・この異彩ある珍書は著者、解説者、装幀意匠者、製紙工、染織工、印刷工、製本工の共同制作によってできあがった一つの総合芸術品としても愛書家の秘蔵に値するものであろう。ただ英文活字に若干遺憾の点があるが、これもある意味ではこうした限定版の歴史的な・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・今日は深川座へ芝居を見に行くので、店から早帰りをする。製本屋のお神さんと阿久とを先に出懸けさせて、私は三十分ばかりして後から先になるように電車に乗った。すると霊岸町の手前で、田舎丸出しの十八、九の色の蒼い娘が、突然小間物店を拡げて、避ける間・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・それに製本が皮だからな。この前買った「ウァートン」の英詩の歴史は製本が「カルトーバー」で古色蒼然としていて実に安い掘出し物だ。しかし為替が来なくっては本も買えん、少々閉口するな、そのうち来るだろうから心配する事も入るまい、……ゴンゴンゴンそ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・又公定賃金では製本もなかなか出来ない。どうしても作って行こうとすると、高い本しか出来ないようになっているのです。こういう文化的のことは、政治とはちょっと関係がないようなことであるけれど、はっきり、いまの社会の経済問題、政治の問題というものと・・・ 宮本百合子 「幸福について」
・・・「製本職工の創った小説」 谷英三 この作は、はじめ筆をおろすときに、小説の終りの部分までを一貫してハッキリ見とおし、そこへ来るまでのいろんな出来ごとを、その主な骨に結びつけて活かすように書いたら、きっと面白いものになっただろうと思・・・ 宮本百合子 「小説の選を終えて」
・・・西鶴などを盛にうつしたり、口語訳にしたりして表紙をつけ手製本をつくった。与謝野晶子の「口語訳源氏物語」のまねをして「錦木」という長篇小説を書いた。森の魔女の話も書いた。両親たちは自分たちの生活にいそがしい。家庭生活や夫婦生活のこまか・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫