・・・ 人形の顔とその動作の強調の必要は、一つにはまた観客と人形との距離からも起こってくる。これと反対の場合は映画における大写し、いわゆるクローズアップの場合である。この技術によって観客の目は対象物の直前に肉薄する。従って顔の小じわの一つ一つ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・と思う絵を観客に自由に遠慮なく投票をさせて、オストラキズムの真似をしたらどうかと思う。推賞する方の投票だと「運動」が横行して結果は無意味に終るにきまっているが、排斥する方の投票だと、その結果は存外多少の参考になるかもしれない。そうして最後に・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ まず最も分明な差別はこれらの視覚的対象と観客との相対位置に関する空間的関係の差別である。舞踊や劇は一定容積の舞台の上で演ぜられ、観客は自分の席に縛り付けられて見物している。従ってその視野と視角は固定してしまっている。しかし映画では第一・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・実際の競馬ではああした番狂わせにはめったに出くわせないであろうし、また観客はカメラのようにあんなに勝手に位置を変えて自由に見どころを得られるはずはないのである。これだけでも映画というものの独特な使命が明白に指示されているように思う。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・グリーンランドのどの辺を舞台にしたものか不明なのが遺憾ではあるが、とにかく先ず極地の夏のフィヨルドの景色の荒涼な美しさだけでも、普通の動かない写真では到底見られぬ真実味をもって観客に迫ってくるようである。それからまた、この映画の中に描写され・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・始めにヒロインとその保護者がこの行列を見送る場面ではヒロインと観客は静止していて行列はその向こう側を横に通過する。次にこの行列の帰還を迎える場面でも行列はやはりわれわれ観客の前を横に通過するのであるが、ここでは前と反対にヒロインがその行列の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 六万の観客中には、シネマ俳優としてのベーアの才能と彼のいろいろなセンチメンタル・アドヴェンチュアとを賛美する一万の婦人がいてはなやかな喝采を送ったそうである。 友人たちとこの映画のうわさをしていたとき、居合わせたK君は、坊間所伝の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・全くこうした映画に全然興味をもとうという用意のない正直な観客には退屈至極な映画であろうと思われた。 しかし、私にはこのアステーア、ロジャースの踊りのデュエットは見ていてやっぱりおもしろい。自分は踊りの事は何も知らないし、ましてやこんな西・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・道太は少年のころ、町へおろされたその芝居小屋に、二十軒もの茶屋が、両側に並んで、柿色の暖簾に、造花の桜の出しが軒に懸けつらねられ、観客の子女や、食物を運ぶ男衆が絡繹としていたのを、学校の往復りに見たものであった。延若だの団十郎だの蝦十郎だの・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・その家は公園から田原町の方へ抜ける狭い横町であったがためだという話である。観客から贔屓の芸人に贈る薬玉や花環をつくる造花師が入谷に住んでいた。この人も三月九日の夜に死んだ。初め女房や娘と共に大通りへ逃げたが家の焼けるまでにはまだ間があろうと・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫