・・・それと同じようにわれわれはまた俳句というものの中に流れている俳句的精神といったようなものの源泉を、その詩型の底にもぐり込んで追究して行くと、その水脈のようなものは意外に広く遠い所に根を引いているのに気がつくであろう。たとえば万葉や古事記の歌・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 俳句の十七字詩形を歴史的にさかのぼって行くと「俳諧の発句」を通して「連歌の発句」に達し、そこで明白な一つの泉の源頭に行き着く。これは周知のことである。 しかし、川の流れをさかのぼって深い谷間の岩の割れ目に源泉を発見した場合にいわゆ・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ この日本的の涼しさを、最も端的に表現する文学はやはり俳句にしくものはない。詩形そのものからが涼しいのである。試みに座右の漱石句集から若干句を抜いてみる。顔にふるる芭蕉涼しや籐の寝椅子涼しさや蚊帳の中より和歌の浦水盤・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・ このように、これ以上惨酷にはあり得ないと思うほど惨酷な目で日本の文化をながめたときでさえ、ともかくも目立って見える日本固有の詩形の中でも特に俳諧連句という独自なものの存在する事をこれらの毛唐人どもが知っていたかどうか、たとえそういう詩・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・此の際に在ては、徒らにコンマやピリオド、又は其の他の形にばかり拘泥していてはいけない、先ず根本たる詩想をよく呑み込んで、然る後、詩形を崩さずに翻訳するようにせなければならぬ。 実際自分がツルゲーネフを翻訳する時は、力めて其の詩想を忘れず・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・談林派の俳諧というものは、その先達であった貞門と同じように俳諧を滑稽の文学と見ており、談林は詩型のリズムに自由を求めると共に懸詞にも日常語を奔放にとり入れ、奇想巧妙な譬喩を求めるあまり、遂には、山の手ややつこりや咲いた花盛引・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・琵琶歌は昔の支那の詩形によっているものであるが、今日、それは勇壮活溌なる日本文化の華として、廟行鎮の武勇歌などに奨励され、中国では世界及東洋文学史の上に一つの足跡をのこす「われらは鉄の隊伍」の歌となって出て来ている。日本詩歌の形として自由律・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
出典:青空文庫