・・・して見れば菊池寛の作品を論ずる際、これらの尺度にのみ拠ろうとするのは、妥当を欠く非難を免れまい。では菊池寛の作品には、これらの割引を施した後にも、何か著しい特色が残っているか? 彼の価値を問う為には、まず此処に心を留むべきである。 何か・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・もし社会主義の思想が真理であったとしても、もし実行という視角からのみ論ずるならば、その思想の実現に先だって、多くの中間的施設が無数に行なわれねばならぬ。いわゆる社会政策と称せられる施設、温情主義、妥協主義の実施などはすべてそれである。これら・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・しかしここではそれ以上の事は論ずる必要がない。ともかく前いったような「人」が前いったような態度で書いたところの詩でなければ、私は言下に「すくなくとも私には不必要だ」ということができる。そうして将来の詩人には、従来の詩に関する知識ないし詩論は・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 病者は自ら胸を抱きて、眼を瞑ること良久しかりし、一際声の嗄びつつ、「こう謂えばな、親を蹴殺した罪人でも、一応は言訳をすることが出来るものをと、お前は無念に思うであろうが、法廷で論ずる罪は、囚徒が責任を負ってるのだ。 今お前が言・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・そのいろんな人々が、また、その言うところ、論ずるところの類似点を求めて、僕の交友間のあの人、この人になって行く。僕は久しぶりで広い世間に出たかと思うと、実際は暗闇の褥中にさめているのであった。持ち帰った包みの中からは、厳粛な顔つきでレオナド・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・緑雨の作の価値を秤量するにニーチェやトルストイを持出すは牛肉の香味を以て酢の物を論ずるようなものである。緑雨の通人的観察もまたしばしば人生の一角に触れているので、シミッ垂れな貧乏臭いプロの論客が鼻を衝く今日緑雨のような小唄で人生を論ずるもの・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・真理を発揮するのが文章の目的乎、人生を説明するのが文章の目的乎、この問題が決しない中は将来の文章を論ずる事は出来ない。この問題が定まれば乃ちその目的を達するに最も近い最も適する文章が自ずから将来の文体となるのである――」という趣旨であった。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・その人の生活を離れて、芸術を論ずることはできぬ。作品から受ける感激は、その作家の人格であろう。 世に、相許さざるものがある。強権と友愛、所有と無欲、これである。平和への手段として、強権を肯定することは、畢竟、暴力の讃美に他ならない。・・・ 小川未明 「自由なる空想」
・・・悪意はなかったろうが、心境的私小説――例えば志賀直哉の小説を最高のものとする定説の権威が、必要以上に神聖視されると、もはや志賀直哉の文学を論ずるということは即ち志賀直哉礼讃論であるという従来の常識には、悪意なき罪が存在していたと、言わねばな・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・西鶴とスタンダールが似ていることを最初に言ったのは私であるが、これは他日詳しく論ずる。ただ、ここでは、私の西鶴観は「西鶴はリアリストの眼を持っていたが、書く手はリアリストのそれではなかった」というテエマから出発していることを言って置こう。こ・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
出典:青空文庫