・・・がかつて右翼陣営の言論人として自他共に許し、さかんに御用論説の筆を取っていた新聞の論説委員がにわかに自由主義の看板をかついで、恥としない現象も、不愉快であった。 だが、私たちはもはや欺されないであろう。私たちの頭が戦争呆けをしていない限・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあった。其一例を示せば、 我日本国の帝室は地球上一種特異の建設物たり。万国の史を閲読するも此の如き建設・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・私はその時も、彼の渡支に就いての論説に一も二もなく賛成した。けれども心配そうに、口ごもりながら、「行ってもすぐ帰って来るのでは意味がない、それから、どんな事があっても阿片だけは吸わないように。」という下手な忠告を試みた。彼は、ふんと笑って、・・・ 太宰治 「佳日」
・・・私もさっそく四人の大学生の間に割込んで、先生の御高説を拝聴したのであるが、このたびの論説はなかなか歯切れがよろしく、山椒魚の講義などに較べて、段違いの出来栄えのようであったから、私は先生から催促されるまでも無く、自発的に懐中から手帖を出して・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・たしか『国民新聞』の論説記者が僕を指して非国民となしたのもその時分であった。これは帰朝の途上わたくしが土耳古の国旗に敬礼をしたり、西郷隆盛の銅像を称美しなかった事などに起因したのであろう。しかし静に考察すれば芸術家が土耳古の山河風俗を愛惜す・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・処が其大将の漢文たるや甚だまずいもので、新聞の論説の仮名を抜いた様なものであった。けれども詩になると彼は僕よりも沢山作って居り平仄も沢山知って居る。僕のは整わんが、彼のは整って居る。漢文は僕の方に自信があったが、詩は彼の方が旨かった。尤も今・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・ 明治の開化期、日本にはじめて新聞が発刊された時分、それはどんなに新鮮な空気をあたりに息吹かせながら、封建と開化とが奇妙にいりまじって錯雑した当時の輿論を指導したことだったろう。論説を書いた人々は社会の木鐸であるというその時分愛好された・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・六十八歳で歿したゴーリキイが晩年においては、最も概念的であるべき論説においてさえ、ますます具体性と輝やかしい感性とをもった文章を書き、世界の文化に尽したという全く対蹠的な一事実を、心理学者は何と分析するであろうか。私はそのような心理学者の出・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・ ある一つの綜合雑誌の目次を見たら、論説に羽仁五郎、細川嘉六、信夫清三郎、平野義太郎という人々が並んでいるのです。その同じ雑誌にどういう小説家が並んでいるかといえば、永井龍男その他丹羽文雄という工合です。今日の文学が評論界、思想界との間・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・一人がルバーシカの襟をひらいて一生懸命モスクワ発行の『プラウダ』から何か論説をやさしく大衆向きに書き直している。鋏で切抜きをやっている若者がある。漫画の切抜きを集めたのを調べているのもある。 諸君はこれまでもソヴェト同盟の労働者、農民、・・・ 宮本百合子 「ドン・バス炭坑区の「労働宮」」
出典:青空文庫