・・・明治の酷吏伝の第一頁を飾るべき時の警視総監三島通庸は遺憾なく鉄腕を発揮して蟻の這う隙間もないまでに厳戒し、帝都の志士論客を小犬を追払うように一掃した。その時最も痛快なる芝居を打って大向うを唸らしたのは学堂尾崎行雄であった。尾崎は重なる逐客の・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監が巡査に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。または三・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・由起しげ子の小説「警視総監の笑い」のモデルであったという老紳士が鎌倉で自殺した事件がおこった。鎌倉に住む作家で、その老紳士と交際のあったらしい里見、久保田万太郎に『読売』がインタービューしたとき、作家の立場として、由起しげ子の小説と結びつけ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 講和の出た去年の十一月下旬、新聞が集めたアンケートでは面白い事に、警視総監のような政府の役人と株屋と徳川夢声等が単独講和でも早いほうがよいという回答をしています。そして石川達三、石坂洋次郎、丹羽文雄、その他の作家や学者のある人は、全面・・・ 宮本百合子 「今年こそは」
・・・そのなかの一人である安倍源基は特高課長、警視総監、内務大臣と出世したが、その立身の一段一段は小林多喜二の血に染められ岩田義道の命をふみ台にしている。天羽英二は情報局長としてあんなに人民の言論と思想、文化の自由を根こそぎ刈った。 これらの・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・それから人民抑圧の手柄によって、警視総監となり、内務大臣となり、さいごに企画院にゆきました。彼の出世の一段階ごとに治安維持法の血がこくしたたっています。小林多喜二を拷問で殺したのも、安倍源基とその部下の仕事です。岩田義道を殺したのも、上田茂・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・ このからくりに采配をふるったのは、ツァーの有名な警視総監である大官ポベドノスツェフであった。そして、この奸策を白日のもとに明かにしたのは、もちろんポベドノスツェフではなく、足をすくわれた後、立ち上ったロシアのマルキシストたちであった。・・・ 宮本百合子 「冬を越す蕾」
・・・安倍源基という人ははじめ警視庁の特高課長であり、その次は警視総監になり、次は内務大臣になって、それから企画院に入った人です。その間に日本の私達人民の自由と文化とは、どういう目にあったでしょう。小林多喜二を殺したのは安倍源基とその配下です。岩・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
出典:青空文庫