・・・ 僕等は少時待った後、護国寺前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。 すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちて・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・男は帰る時に、『護国寺の方に出るには、どう行きます……』と言って女に道を聞いていた。『そんなら、品を見てから……よろしければ……』と女は言った。すべてのことが私には見当がつかなかった。 其れから数日の後であった。私は散歩から家に・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・第六夜 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・何だか馬鹿らしく滑稽で私はお湯の中で笑い出したけれど、今年の豆撒きにはイギリスとかアメリカの領事館か何かの人が裃を着て豆をまきに護国寺へ出かけたのだそうです。私はおふろの中で赤毛碧眼の若いひとが裃をつけてどんな発音でフクワうちと叫ぶであろう・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 護国寺の紅葉や銀杏の黄色い葉が飽和した秋の末の色を湛えるようになった。或日、交叉点よりの本屋によった。丁度、仕入れして来たばかりの主人が、しきりに、いろんな本を帳場に坐っている粋なおかみさんにしまわせている。「こんなのもいい本・・・ 宮本百合子 「「青眉抄」について」
・・・ざっと一ヵ月も前のことであったろう。護国寺わきの本屋に、この「春桃」が例により十何冊が一束げになって棚に並べられていた。そうもどっさり無感興に並んで、「米鬼を殺せ」という風な本の間にはさまれていては「春桃」という文字が訴える情趣もそがれてい・・・ 宮本百合子 「春桃」
硝子戸に不思議に縁がある。この間まで借りていた二階の部屋は東が二間、四枚の素通し硝子であった。朝日が早くさし込む。空が雑木の梢を泛べて広く見渡せ、枝々の間から遙に美しく緑青をふいた護国寺の大屋根が見えた。温室に住んでいるよ・・・ 宮本百合子 「春」
・・・ 三月で、近くの地面の底にも、遠くの方に見える護国寺の森の梢にも春が感じられる、そこへ柔かく降り積む白雪で、早春のすがすがしさが冷気となってたちのぼるような景色であった。 藍子は、朝飯をすますと直ぐ、合羽足駄に身をかためて家を出た。・・・ 宮本百合子 「帆」
出典:青空文庫