・・・が、まだ貧乏だったり何かするために誰にも認められていないのですがね。これは僕の友人の音楽家をモデルにするつもりです。もっとも僕の友人は美男ですが、達雄は美男じゃありません。顔は一見ゴリラに似た、東北生れの野蛮人なのです。しかし目だけは天才ら・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには道楽という・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 貧乏寺の一間を借りて、墓の影法師のように日を送る。―― 十日ばかり前である。 渠が寝られぬ短夜に……疲れて、寝忘れて遅く起きると、祖母の影が見えぬ…… 枕頭の障子の陰に、朝の膳ごしらえが、ちゃんと出来ていたのを見て、水を浴・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・「そうやっていなければ喰えないんですから」「御常談を――それでも、先生はほかの人と違って、遊びながらお仕事が出来るので結構でございます」「貧乏ひまなしの譬えになりましょう」「どう致しまして、先生――おい、お君、先生にお茶をあ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・椿岳の画料 椿岳は画を売って糊口したのではなかった。貧乏しても画を売るを屑しとしなかった。浅草絵は浅草紙に泥絵具で描いたものにしろ、十二枚一と袋一朱ではナンボその頃でも絵具代の足しにもならなかったは明かである。 その頃何処かの洒・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかしながらその教会の建った歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮定めてごらんなさい……この教会を建てた人はまことに貧乏人であった、この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それだけれどもこの人は己のすべての浪費を節して・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・この少年の家は、貧乏でありました。彼は、他の子供らが騒いだり、駆けたりして遊んでいましたのに、ひとり、おじいさんのそばへきて、熱心にバイオリンの音を聞いて、感心していました。 いつしか、おじいさんと、この少年とは仲よくなりました。「・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・鰻の寝床みたいな狭い路地だったけれど、しかしその辺は宗右衛門町の色町に近かったから、上町や長町あたりに多いいわゆる貧乏長屋ではなくて、路地の両側の家は、たとえば三味線の師匠の看板がかかっていたり、芝居の小道具づくりの家であったり、芸者の置屋・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「一体貧乏ということは、決して不道徳なものではない。好い意味の貧乏というものは、却て他人に謙遜な好い感じを与えるものだが、併し小田のはあれは全く無茶というものだ。貧乏以上の状態だ。憎むべき生活だ。あの博大なドストエフスキーでさえ、貧乏と・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・行一はそんな信子を、貧乏する資格があると思った。信子は身籠った。 二 青空が広く、葉は落ち尽くし、鈴懸が木に褐色の実を乾かした。冬。凩が吹いて、人が殺された。泥棒の噂や火事が起こった。短い日に戸をたてる信子は舞いこむ・・・ 梶井基次郎 「雪後」
出典:青空文庫