・・・このわたしの唇は何日も確り結んでいて高慢らしく黙っていたのだが、今こそは貴女の前に膝を突いて、この顫う唇を開けてわたくしの真心が言って見たい。ああ、何卒母上を呼んでくれい。引き留めてくれい。何故お前は母上の帰って行くのを見ていながら引留めて・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その一層明らかな証拠には、いつも活溌に眼を耀かせ、彼を見るとすぐにも悪戯の種が欲しいと云うような顔をする彼女が、今朝は妙に大人びて、逆に彼を労り、母親ぶり「貴女に判らないこともあるのですよ」と云いたげな口つきをしているではないか。 彼が・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・「あなた、随分此処は暖いのね……だけれど貴女お一人? 芳子さんはどうなすったの」「芳子さん? あっちだわ」「何故貴女一人放って行らしったんでしょう、……私あの方は……此は貴女だけに云うのよ政子さん……余り親切じゃあないと思うこと・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ ――「貴女はまるで開いた窓のように私をひきつける!」或るときは、大切そうに彼女の手をとって「比類なき者!」とか「素晴らしい者」とか感歎詞を連発する。インガは、もう何十度か、そういうことはやめて呉れと云わなければならなかった。 インガは・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・其にしても、総ての感情、理智の燃焼を透し、到る所に貴女のろうたきいきどおりとでも云うべきものが感じられるのは、非常に私の感興をそそりました。 きっと貴女の持っていらっしゃる詩興、詩趣によるものでしょう。結婚と云うものに対し、愛の発育と云・・・ 宮本百合子 「大橋房子様へ」
・・・失業中なのです、と云ったら○○○さんが「失業と書きなさいよ。貴女がわるいんじゃあるまいし」と云うので、失業と書きました。さっき紙をわけた巡査がその紙をうけとって書いてあることをよんでから、「一寸立って下さい」と云い、立つと袂をいじったり、帯・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・る植民地の拡大と、その結果、より速い資本主義社会への足なみをもったイギリスで、シェクスピアの豊富な才能が、思いをこめてじっと動かず微笑するレオナルドの女性を解放し、ヴァレンタインの一夜、アテナの二人の貴女を郊外の森へ駈け落ちさせたことは、注・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・考えて見ると――貴女はそう思いませんか?人間そのものが芸術であると、思う。音楽や、絵や、建築、文学が、皆我々の、皮膚の下、髪の裡、眼の底にある。それ故、時に 魂が熱し鳴りひびきどうにも 仕方のない時が あ・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・日記をかくようにたくさんの詩をかけよ手紙をかくようにたくさんの詩をかけよ 時々刻々に書き書けば成りがたい彫心縷骨の一篇よりも更に山があり谷があり貴女の姿のまるみのみえる逆説的の不思議はそこに普段着のごと・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・「それで?――誰かに診せたの」「まだ」「そんなことってあるものか」 総子は、大きな怒ったような声を出した。「貴女がついててそんな!」「だからね、明日行ったら私自分で手筈するわ、もう親父さんはあてにしないで、ね」 ・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
出典:青空文庫