・・・その内に六波羅から使に立った、丹左衛門尉基安は、少将に赦免の教書を渡した。が、少将の読むのを聞けば、おれの名前がはいっていない。おれだけは赦免にならぬのじゃ。――そう思ったおれの心の中には、わずか一弾指の間じゃが、いろいろの事が浮んで来た。・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・わけても孤島に流されているアグリパイナと、ネロの身の上を恐ろしきものに思い、可哀そうでならぬから、と誰にとも無き言いわけを、頬あからめて呟きつつ、その二人への赦免の書状に署名を為した。 赦免状を手にした孤島のアグリパイナは狂喜した。凱旋・・・ 太宰治 「古典風」
・・・次いで元文四年三月二日に、「京都において大嘗会御執行相成り候てより日限も相立たざる儀につき、太郎兵衛事、死罪御赦免仰せいだされ、大阪北、南組、天満の三口御構の上追放」ということになった。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別れを告・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・同時に正氏が謫所へ、赦免状を持たせて、安否を問いに使いをやった。しかしこの使いが往ったとき、正氏はもう死んでいた。元服して正道と名のっている厨子王は、身のやつれるほど歎いた。 その年の秋の除目に正道は丹後の国守にせられた。これは遙授の官・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫