・・・城山戦死説はしばらく問題外にしても、およそ歴史上の判断を下すに足るほど、正確な史料などと云うものは、どこにだってありはしないです。誰でもある事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 又 民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを発見するのは兎も角も誇るに足ることである。 又 古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。丁度まだこ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 人は境遇に支配されるものであるということだが、自分は僅かに一身を入るるに足る狭い所へ横臥して、ふと夢のような事を考えた。 その昔相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるのを覚えてほとんど眠られなかった時、彼は嘆じていう。こういう風に互に・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・平坦な北上総にはとにかく遊ぶに足るの勝地である。鴨は真中ほどから南の方、人のゆかれぬ岡の陰に集まって何か聞きわけのつかぬ声で鳴きつつある。御蛇が池といえば名は怖ろしいが、むしろ女小児の遊ぶにもよろしき小湖に過ぎぬ。 湖畔の平地に三、四の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・が、その頃に限らず富が足る時は名を欲するのが古今の金持の通有心理で、売名のためには随分馬鹿げた真似をする。殊に江戸文化の爛熟した幕末の富有の町家は大抵文雅風流を衒って下手な発句の一つも捻くり拙い画の一枚も描けば直ぐ得意になって本職を気取るも・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ それにつき鴎外の性格の一面を窺うに足る一挿話がある。或る年の『国民新聞』に文壇逸話と題した文壇の楽屋咄が毎日連載されてかなりな呼物となった事があった。蒙求風に類似の逸話を対聯したので、或る日の逸話に鴎外と私と二人を列べて、堅忍不抜精力・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・する審判とを論ぜしかばペリクス懼れて答えけるは汝姑く退け、我れ便時を得ば再び汝を召さん、とある、而して今時の説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯等を懼れしむるに足るの来らんとする審判に就ての説教である・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ユトランドの荒地は今やこの強梗なる樹木をさえ養うに足るの養分を存しませんでした。 しかしダルガスの熱心はこれがために挫けませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。し・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・この意味に於て、動物文学は、美と平和を愛する詩人によって、また真理に謙遜なる科学者によって、永遠無言の謎を解き、その光輝を発し、人類をして、反省せしむるに足るのであります。 小川未明 「天を怖れよ」
・・・その存在は、たとえ、小さな火であっても、いつか人生の核心を焼きつくすに足るからである。 毎日、幾何の人間が、深き省察のなかったがために、また自からを欺いたがために社会の空しき犠牲となりつゝあるか。そして、彼等の狂騒と私等は、この人生にと・・・ 小川未明 「名もなき草」
出典:青空文庫