・・・と大文字に書いた紙の羽織を素肌に纏い、枝つきの竹を差し物に代え、右手に三尺五寸の太刀を抜き、左手に赤紙の扇を開き、『人の若衆を盗むよりしては首を取らりょと覚悟した』と、大声に歌をうたいながら、織田殿の身内に鬼と聞えた柴田の軍勢を斬り靡けまし・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・それには賢造の先妻が、叔母の身内だと云う理由もある。――洋一は誰かに聞かされた、そんな話を思い出しながら、しばらくの間は不承不承に、一昨年ある呉服屋へ縁づいた、病気勝ちな姉の噂をしていた。「慎ちゃんの所はどうおしだえ? お父さんは知らせ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・打てば響くがごとくお米が身内はわなないた。 堪りかねて婆さんは、鼻に向って屹と居直ったが、爺がクンクンと鳴して左右に蠢めかしたのを一目見ると、しりごみをして固くお米を抱きながら竦んだ。「杖に縋って早や助かれ。女やい、女、金子は盗まい・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・もっとも孤児同然だとのこと、都にしかるべき身内もない。そのせいか、沈んだ陰気な質ではないが、色の、抜けるほど白いのに、どこか寂しい影が映る。膚をいえば、きめが細く、実際、手首、指の尖まで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちり・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ あってみない前の思いほどでなく、お光さんもただ懇切な身内の人で予も平気なればお光さんも平気であったに、ただ一日お光さんは夫の許しを得て、予らと磯に遊んだ。朝の天気はまんまるな天際の四方に白雲を静めて、洞のごとき蒼空はあたかも予ら四人を・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 例えば冠婚葬祭の義理は平気で欠かしてしまう。身内の者が危篤だという電報が来ても、仕事が終らぬうちは、腰を上げようとしない。極端だと人は思うかも知れないが、細君が死んだその葬式の日、近所への挨拶廻りは、親戚の者にたのんで、原稿を書いてい・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・種吉がかねがね駕籠かき人足に雇われていた葬儀屋で、身内のものだとて無料で葬儀万端を引き受けてくれて、かなり盛大に葬式が出来た。おまけにお辰がいつの間にはいっていたのか、こっそり郵便局の簡易養老保険に一円掛けではいっていたので五百円の保険料が・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・処が彼が瞥と何気なしに其巡査の顔を見ると、巡査が真直ぐに彼の顔に鋭い視線を向けて、厭に横柄なのそり/\した歩き振りでやって来てるので、彼は何ということなしに身内の汗の冷めたくなるのを感じた。彼は別に法律に触れるようなことをしてる身に憶えない・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・ 言うに言われぬ恐怖さが身内に漲ぎってどうしてもそのまま眠ることが出来ないので、思い切って起上がった。 次の八畳の間の間の襖は故意と一枚開けてあるが、豆洋燈の火はその入口までも達かず、中は真闇。自分の寝ている六畳の間すら煤けた天井の・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫