・・・音楽にも軽音楽やダンス・ミュージック、みんなが口ずさむようないろいろな歌。舞踊でもこのごろはやっているスクウェアー・ダンスのようなものが娯楽のためのダンスであって、芸術としてのバレーとは自然ちがいます。映画や演劇は、芸術性と娯楽性のもっとも・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
・・・アメリカの漫画の発達、ナンセンスな遊戯の趣味、軽音楽、サローヤンの軽い文学。それらはみんなアメリカの旺盛な生産力、激甚な自由競争、充実緊張した実務時間の半面におこる文化的要求の反映である。世界生産の諸部門において、ソヴェト同盟はアメリカに近・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・しかも一九三〇年には生みの親のブルジョア社会の感覚が古典的オペラへの興味からくずれ出してレヴューだの軽音楽と、うつって来ているところがある。オペラとバレーがどしどし新形式を発見せず、主題においても停滞しているのに第一次大戦後からより近代的な・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・漫才や軽音楽やカストリ小説の、時にとってはおもしろいかもしれないけれども、感覚の中をただ通りすぎてゆく間だけの気紛らしとは全く質のちがう文学の存在意義がある。 モーパッサンの「女の一生」は、こんにちも多くの人によまれている。特に日本・・・ 宮本百合子 「文学と生活」
出典:青空文庫