・・・が、いよいよ帰るとなっても、野次馬は容易に退くもんじゃない。お蓮もまたどうかすると、弥勒寺橋の方へ引っ返そうとする。それを宥めたり賺したりしながら、松井町の家へつれて来た時には、さすがに牧野も外套の下が、すっかり汗になっていたそうだ。……」・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・日本利あらずして退く。己酉……さらに日本の乱伍、中軍の卒を率いて進みて大唐の軍を伐つ。大唐、便ち左右より船を夾みて繞り戦う。須臾の際に官軍敗績れぬ。水に赴きて溺死る者衆し。艫舳、廻旋することを得ず。」(日本書紀 いかなる国の歴史もその国・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・と、いうと、腰を上げざまに襖を一枚、直ぐに縁側へ辷って出ると、呼吸を凝して二人ばかり居た、恐いもの見たさの徒、ばたり、ソッと退く気勢。「や。」という番頭の声に連れて、足も裾も巴に入乱るるかのごとく、廊下を彼方へ、隔ってまた跫音、次第に跫・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・で、知りませんと、鼻をつまらせ加減に、含羞んで、つい、と退くが、そのままでは夜這星の方へ来にくくなって、どこへか隠れる。ついお銚子が遅くなって、巻煙草の吸殻ばかりが堆い。 何となく、ために気がとがめて、というのが、会が月の末に当るので、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ これに悚然とした状に、一度すぼめた袖を、はらはらと翼のごとく搏いたのは、紫玉が、可厭しき移香を払うとともに、高貴なる鸚鵡を思い切った、安からぬ胸の波動で、なお且つ飜々とふるいながら、衝と飛退くように、滝の下行く桟道の橋に退いた。 ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ やにわに長い手を伸ばされて、はっと後しざりをする、娘の駒下駄、靴やら冷飯やら、つい目が疎いかして見分けも無い、退く端の褄を、ぐいと引いて、「御夢想のお灸であすソ、施行じゃいの。」 と鯰が這うように黒被布の背を乗出して、じりじり・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ が、あ、と押魂消て、ばらりと退くと、そこの横手の開戸口から、艶麗なのが、すうと出た。 本堂へ詣ったのが、一廻りして、一帆の前に顕われたのである。 すぼめた蛇目傘に手を隠して、「お待ちなすって?」 また、ほんのりと花の薫・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・北辰妙見菩薩を拝んで、客殿へ退く間であったが。 水をたっぷりと注して、ちょっと口で吸って、莟の唇をぽッつり黒く、八枚の羽を薄墨で、しかし丹念にあしらった。瀬戸の水入が渋のついた鯉だったのは、誂えたようである。「出来た、見事々々。お米・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ わたしの考えには深田の手前秋葉の手前あなたのお家にしてもわたしの家にしても、私ども二人が見すぼらしい暮しを近所にしておったでは、何分世間が悪いでしょう、して見れば二人はどうしても故郷を出退くほかないと思います。精しくはお目にかかっての・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・今だって些ともこうしていたくはないけれど、こう草臥ては退くにも退かれぬ。少し休息したらまた旧処へ戻ろう。幸いと風を後にしているから、臭気は前方へ持って行こうというもの。 全然力が脱けて了った。太陽は手や顔へ照付ける。何か被りたくも被る物・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫