・・・平凡な手段じゃ。通例過ぎる遣方じゃが、せんという事には行かなかった。今云うた冥土の旅を、可厭じゃと思うても、誰もしないわけには行かぬようなものじゃ。また、汝等とても、こういう事件の最後の際には、その家の主人か、良人か、可えか、俺がじゃ、ある・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・死生の際が人情の極致を発露する時なりとして詩歌に、小説に、美文に採用せられ、歌はれ、描かれ写されつゝあるは、通例の事に属す。独り国民を挙つて詩化し満目詩料ならざるなく、国民品性の極致を発露し口を開いて賛すべく、嘆すべく、歌ふべく、賦すべきの・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・と客のほうから店のおやじ、女中などに、満面卑屈の笑をたたえて挨拶して、そうして、黙殺されるのが通例になっているようである。念いりに帽子を取ってお辞儀をして、店のおやじを「旦那」と呼んで、生命保険の勧誘にでも来たのかと思わせる紳士もあるが、こ・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・「尤も生徒の個性的傾向は無論考えなければならない。通例そのような傾向は、かなりに早くから現われるものである。それだから自分の案では、中等学校の三年頃からそれぞれの方面に分派させるがいいと思う。その前に教える事は極めて基礎的なところだけを・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・それで何でも人からくれるものが善いものであれば何もおせっかいな詮議などはしないで単純にそれを貰って、直接くれたその人に御礼を云うのが、通例最も賢い人であり、いつでも最も幸福な人である。」 この文辞の間にはラスキンの癇癪から出た皮肉も交じ・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・この現在の場合はどうでもいいとしたところで、逆に吾々が何か重大な問題にぶつかった場合に、それを、本質的にそれと同様な、しかし通例些細なと考えられる問題に「翻訳」して考えてみなければならない場合も随分ありはしまいか、そうしてみて始めて問題が正・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・この比較は、現在あるものよりもさらにより多く連句的なる非現実映画の可能性を暗示する。通例はそう思われていないドブジェンコの「大地」などはまさしくその方向への第一歩であるに相違ない。 前衛映画 映画を演劇や文学から解放・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 上手と下手の相違はだいたい何事でも言葉では言い現わせないところにあり、メーターで測れないところにあるのが通例であるが、これらの映画の切り換えのリズムは一つ一つの相次ぐフィルム切片の駒数を数えて、その数字を適当に図示し曲線でも作ってみれ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ それだのに、純粋な線条の踊りは一般観客にはさっぱり評価されないようである一方でレヴューのほうは大衆の喝采を博するのが通例であるらしい。ここに映画製作者の前に提出された一つの大きな問題があると思われる。 あまりに抽象的で特殊な少数の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・それだからわれわれはもう少し充分にこれらの背景と環境とを見せてもらいたいのであるが、通例のフィルムではこれが惜しいように節約されている。そのためにせっかくのありがたい体験がややもすれば概念化される恐れがある。 フーヴァーの演説にしてもそ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫