・・・ 運転手は何を思ったか、口笛を高く吹いて、「首くくりでもなけりゃいいが、道端の枝に……いやだな。」 うっかり緩めた把手に、衝と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途の右側に、真赤な人のなりがふらふら・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ただ畔のような街道端まで、福井の車夫は、笠を手にして見送りつつ、われさえ指す方を知らぬ状ながら、式ばかり日にやけた黒い手を挙げて、白雲の前途を指した。 秋のはじめの、空は晴れつつ、熱い雲のみ往来して、田に立つ人の影もない。稲も、畠も、夥・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・洗濯をしに来たのである。道端の細流で洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。――ないのだが、見ただけでなよやかで、盥に力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかな膚を徹して、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿いてい・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・――心中の相談をしている時に、おやじが蜻蛉釣る形の可笑さに、道端へ笑い倒れる妙齢の気の若さ……今もだ……うっかり手水に行って、手を洗う水がないと言って、戸を開け得ない、きれいな女と感じた時は、娘のような可愛さに、唇の触ったばかりでも。」・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 月あかりが斜にさしこんでいる道端の松の切株に二人は腰をかけた。目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花が際立って白い。「何というえい景色でしょう。政夫さん歌とか俳句とかいうものをやったら、こん・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・、そん時おれが、つくづく感心したのは、そら今ではあんなに仕合せをしてる、佐兵エどんの家内よ、あの人がたしか十四五の頃だな、おれは只遠い村々の眺めや空合の景色に気をとられて、人の居るにも心づかず来ると、道端に草を刈ってた若い女が、手に持った鎌・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・海へいく道端に、春になると桜が咲いて、それはきれいだといっていたよ。」「春は、田舎がいいだろうからな。」「秀公は、やはり田舎がいいといっていた。」「秀ちゃんて、どんな子?」「できないので、先生にしかられてばかりいるのさ。」・・・ 小川未明 「二少年の話」
・・・そんな時、道端の百姓家へ泣きこんで事情を打ち明けると、食事を恵んでくれる親切なお内儀さんもありました。が、しまいにはもうそれもできなかった。というのは、事情を話せば恵んでくれるでしょうが、そのための口を利く元気すらない時の方が多かったのです・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・察しのつく通りアッパッパで、それも黒門市場などで行商人が道端にひろげて売っているつるつるのポプリンの布地だった。なお黒いセルロイドのバンドをしめていた。いかにも町の女房めいて見えた。胸を洗っているところを見ると、肺を病んでいるのだろうか、痩・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・孤独の身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界隈へ出掛けても、絢爛たる鈴蘭燈やシャンデリヤの灯や、華かなネオンの灯が眩しく輝いている表通りよりも、道端の地蔵の前に蝋燭や線香の火が揺れてい・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫