・・・小隊長というのは彼等三人の中隊長であった人の遺児であるからそう名づけたのであろう。父中隊長の戦死後その少年が天涯孤独になったのを三人が引き取って共同で育てているのだ。 三人は毎朝里村千代という若い娘が馭者をしている乗合馬車に乗って町の会・・・ 織田作之助 「電報」
・・・軍人の未亡人の如きも遺児を育て、遺児なきときは社会事業に捧げ、あるいは場合によっては再婚するというようなことも決して考えられない運命ではない。こうした考え方は人生の広き経験なき者にはむしろ淋しいことであるが、あのチェホフのような博大な人生観・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・父は牛乳で顔を洗っていた。遺児は、次第に落ちぶれた。文章を書いて金にする必要。 私はソロモン王の底知れぬ憂愁も、賤民の汚なさも、両方、知っている筈だ。文章 文章に善悪の区別、たしかにあり。面貌、姿態の如きものであろうか。・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・自分は二歳になる遺児をひざにのせたまま腰をかけてそののりとを聞いていたときに、今まで吹き荒れていた風が突然ないだかのように世の中が静寂になりそうして異常に美しくなったような気がした。山の木立ちも墓地から見おろされるふもとの田園もおりから夕暮・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・七十万人近くを殺し八百三十余万人の戦災者を出し、未亡人と遺児たちを作った。 私たちの人間らしいやりかたには、今はまだ小さくとも、納得出来る力を、自分たちのものとして守り立てて大きくして行くところにある。赤坊は、すぐものの役に立たない。資・・・ 宮本百合子 「婦人の一票」
・・・出征して再び還ることのなかった良人をもつ妻たちは、どんなに、自分たちの不安が社会全体の連帯保証によって守られ、自分が安心して助ける場面と、安心して遺児たちを育て終せる条件とを求めているだろう。戦災者・復員者たちは、日を経るにつれて骨肉を噛む・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫