・・・音楽が人間の生活に向き合って対決を迫るとは、邪道だと思うんです。音楽の本質は、あくまでも生活の伴奏であるべきだと思うんです。僕は今夜、久し振りにモオツアルトを聞き、音楽とは、こんなものだとつくづく、……」「僕は、ここから乗るがね。」・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・しかしその半面の随伴現象としていわゆる骨董趣味を邪道視し極端に排斥し、ついには巧利を度外視した純知識慾に基づく科学的研究を軽んずるような事があってはならぬと思う。直接の応用は眼前の知識の範囲を出づる事は出来ない。従ってこれには一定の限界があ・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・ゆえに俳句を学ぶ者消極的美を唯一の美としてこれを尚び、艶麗なるもの、活溌なるもの、奇警なるものを見ればすなわちもって邪道となし卑俗となす。あたかも東洋の美術に心酔する者が西洋の美術をもってことごとく野卑なりとして貶するがごとし。艶麗、活溌、・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・まだ肩あげがあって桃われが善く似あうと人がいった位の無垢清浄玉の如きみイちャんを邪道に引き入れた悪魔は僕だ。悪魔、悪魔には違いないがしかしその時自分を悪魔とも思わないしまたみイちャんを魔道に引き入れるとも思わなかった。この間の消息を知ってる・・・ 正岡子規 「墓」
・・・今洋画家が想像画を描くことは必ずしも邪道でなく、日本画家が写生画を描くこともまた必ずしも邪道でない。しかしながら、目前の問題としては、洋画の内の想像画に見るに足るものなく、日本画の内の写生画もまた見るに堪えないのである。 それは何ゆえで・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫