・・・生活の中に喪われてゆく従来の美しさへの郷愁で、手工業的なものの趣味に愛着する傾きも、今日の社会の一部にある美の衰弱を語っている徴候だと思う。 私たちは、めいめいの生活に即し、そこに動き流れる表現として造形的な美しさをも捉え創り出してゆく・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・ 自分もこうして遂に些かながら、味覚郷愁を洩すことになった。 それにしてもラフカデオ・ハーンは、彼の幾多の随筆力のどこかに美味なアメリカのチキンポットパイについての感慨をのこして居るであろうか? 神戸の生垣にもカタツムリは這って居た・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ 放浪の詩情こそ、そのひとの文学の一管の笛である、という抒情的評価をかち得ているある作家は、日本の小市民の生活につきまとううらぶれとあてどない人生への郷愁の上に財をつんだ。そして、男の子を貰い、学習院に入学させている。「あすこは父兄が、・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
私は東京で生れた。母は純粋な江戸っ子である。けれども、父が北国の人で、私も幼少の頃から東北の田園の風景になれている故か、私の魂の裡にはやみ難い自然への郷愁がある。それも、南国の強烈な日光は求めず、日本の北の、澄んだ、明るい・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・ 此は決して郷愁がさせる業でもなければ、感傷主義の私生児でもない。其は確だ。一つでも、その半片でも、人間が受けている、或は受けなければならない苦難を知ると、その一点を中心として四囲に発散している種々の光彩を見、感じる事が出来るように成る・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・から横光利一氏の「郷愁」に至るまで、いずれも例外なくその作家の身辺的な素材に立った作品なのである。 この面白い作家の欲望と現実との間にあるギャップは、一つは日本の近代文学が伝統として来た私小説の性質からの制約、小さな私というものの歴史的・・・ 宮本百合子 「遠い願い」
・・・佇んでこれ等の遠望を恣にして居るうちに、私は不図、海路平安とだけ刻まれた四字の間から、海上はるかに思をやった明末の帰化人の無言の郷愁を犇と我心にも感じたように思った。 第四日 運のわるいこと。今日は雲の切れめこ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
出典:青空文庫